2025.10.21 17:00
2025.10.21 17:00
「悪いものは悪い」とはっきり言ってくれることが嬉しかった
──実際に制作していくなかでは、斎藤さんと何かディスカッションとか意見交換はしたんですか?
私はSakaiさんと、今回参加してくださった麦野優衣さんと、3人で曲のクオリティを上げていくっていう部分に徹していました。そこが私が最大限お返しできる部分かなって思ったので。本当に3人でああでもないこうではないって言いながらできた曲が「Mirror」なんです。
──じゃあ本当に合作という感じで作っていったんですか。
はい。せっかく待ち望んだSakaiさんとの制作なので、1回自分をゼロにして、Sakaiさんが提案してくださったものに乗れる自分でありたいと思って臨んだんですよね。だから、最初に打ち合わせした時に「麦野さんという方を今回ご紹介したいと思います、3人で作るのはどうですか」って言われて、ぜひそのスタイルでやらせてくださいって。それで3人集まったんですけど、その日にSakaiさんがトラックを作ってきてくださっていて。で、まあ、そのスタジオすごい広いんですけど、真ん中に1本マイクが立ってるんですよ。そこでトラックを数回聴いて、「じゃあ、ここでレオさんと麦ちゃん代わりばんこにメロディ乗せて、それを自分が編集するから」って。そういう、コライトという形で1曲作ってみようって。

──はい。
私、今まで自分で曲を作るときはギターとかピアノでコードを弾いて、そこに直感的にメロディを乗せて、そのメロディを数日、数週間、数ヵ月かけてブラッシュアップしていくっていうスタイルだったので、1曲作るにもわりと時間がいるタイプで、今日メロディ作って、今日それを形にするっていう、その日その瞬間が勝負みたいな制作スタイルが初めてだったんです。本当に血肉になってないものは採用されないというか。自分の生活の中で定着してるものしかその瞬間に出ていかないと思うんですけど、それを試されてるような制作でした。でも、メロはそれだけ直感的に判断していくのに、歌詞に関しては何回書き直したんだろうっていうぐらい今回書き直していて。そこは思考力を本当に振り絞った。私はそれもすごく嬉しいんです。デビューして最初3枚のアルバムをご一緒させていただいたプロデューサーの西尾芳彦さん、私は「西尾先生」って呼んでるんですけど、西尾先生が今年亡くなって。
──ええ。
自分の中でそれもいろんなことを考えるタイミングだったんですけど、デビュー当初って、自分が書いた歌詞に対してダメを出されることしかなくて。最初の3枚は本当にあがきながら作ったんですけど、年を重ねれば重ねるほど、最終的には己で判断していくことが多くなってくるので。今回の制作では麦ちゃんとスタジオで缶詰になったり、LINE電話をつないで、明け方まで歌詞を考えて、それをSakaiさんに見せたら1、2行ぐらいしか良いねって言ってもらえなかったり(笑)。ライブをやったりプロモーションやったり、他のことも全然稼働している中でそういうことをやっていたんですけど、私はそれがすごい嬉しかったんですよね。

──それはどうして嬉しかったんでしょう?
「いいものはいい、悪いものは悪い」っていう。「悪いもの」っていうか、「今回じゃないかもしれない」ってことをはっきり言ってくれることが嬉しかったんです。最後はもう3人で、ずっとSakaiさんのスタジオで「こういうことなんじゃないか、ああいうことなんじゃないか」って、ドラマのプロットをもう1回見直したりしながら完成させたんです。
──トラックを作る人がいて、トップラインを書く人がいて、歌詞を書く人がいて、っていう、分業型のコライトって、プロフェッショナルが集まってやるっていう意味ではすごくシステマティックではあるんだけど、でも同時にすごくシビアですよね。
シビアです。私も麦野さんも、めちゃくちゃメロディラインは出してたんですけど、それを最終的にSakaiさんが編集して「1曲できたよ」って聴かせてもらうので。その時はじめて、自分のメロディがどれだけ採用されているかを知るんです。私はお2人と今後もご一緒したいと思っているんですけど、今回はこういうバランスになったけど、次はもしかしたら、私のメロディが1:9の割合でしか採用されていないとかいうこともあるかもしれないじゃないですか。

──そうですよね。
でもそこも含めてすごいエキサイティングだし、もっといいもの出そうって思えるので。これ以上に楽しいって思えることってあるのかな?って思うんです。麦野さんともまだ出会って数ヵ月だけど、お互いどういうマインドで音楽してるかっていうのも話して、歌詞も紡いで……デビューしたときが10代だったっていうのもあるんですけど、今までは上の世代の方とご一緒させていただくことが多くて、自分が1出したら10汲み取ってくれるっていう環境にいて。でもそこでいろんなことを学んだからこそ、今はもっと労力をかけるコミュニケーションの大事さに気づき始めているんですよね。
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