全国ツアーを前に語るソロでの願いと新曲、BiSHへの思いも
自分で自分を愛すと決めたセントチヒロ・チッチの現在地、3年間で育んだCENT“らしさ”とは
2025.10.23 18:00
2025.10.23 18:00
BiSH時代から変わらず彼女の音楽の中心にある「愛」を軸に、メジャー1stミニアルバム『らぶあるばむ』から新曲「yummy goodday」(TVアニメ「とんでもスキルで異世界放浪メシ2」オープニングテーマ)、そして9月に発売された初写真集まで、音楽活動に加えて加藤千尋名義での俳優業でも注目を集めるCENT=セントチヒロ・チッチ。「ポジティブに引っ張ってあげたい」と語る彼女に、愛をポップに表現し続ける表現者としての現在地について聞いたロングインタビューをお届けする。

個性が共存することはBiSHじゃなきゃ学べなかった
──写真集「千尋」のテーマが「セントチヒロ・チッチと加藤千尋の二面性」とありますが、ご自身の両面を表現することが現在の活動の大きなテーマになっているのでしょうか。
CENTとして音楽を表現している時は、できるだけありのまま、あるがままの姿でいられることが今はすごくベストだと思ってるんです。ただ、今回の写真集に関してはアーティスティックな一面、クリエイティブな一面がセントチヒロ・チッチの表現として写真に投影されているので、またちょっとニュアンスが違うんです。加藤千尋は俳優業をする時に使っている名前ですが、その時は一つの作品を作る中で俳優として役をいただいて、その役にどれだけ自分を重ねられるかということを大事にしています。だから、俳優業の時は自分らしくというよりも、どれだけ役に重ねられるか、なので。その一方で、写真集の加藤千尋はもっと素顔の私を表現しているので、表現者としての区別と写真集の区別は違うなって私の中では思っています。
──俳優としての加藤千尋は、チームで作品を作る立場ということですね。
そうですね。一人じゃ何もできないし、役をいただいてこその私なので、そういう感覚です。
──音楽表現は、より自分の個が前面に出ていく。
そうですね。やっぱり舵を取るのは私だし、自分で決めなきゃいけないこととか、0から1にしなきゃいけないこともある。でもチームの皆さんがいて、それを100にしてくれるパワーをくださってるので、めっちゃチームだなと思ってるんです。でも、やっぱり私がそのステージで自分を自分のまま出せなかったらCENTらしくはないなと思う。カッコつけるのはあんまり私らしくないって感じたんですよ、この3年で。

──BiSHでいた時の自分とは大きな違いも感じていますか?
BiSHでいた時の私はやっぱりすごく背負うものもあったし、キャプテンだったという立場もあったので。そこにいるセントチヒロ・チッチとしての自分というものをすごく考えたり、発言することについても考えを巡らせている自分がいたんです。それが削ぎ落とされると、今はすごく自然体でいられてるなという感じはしてます。
──メンバー全体を俯瞰して見なきゃいけない立場でしたでしょうし。
そうですね。キャプテンとしての動き方はいろいろありました。メンバーのメンタル的なケアだったり。ちょっとメンバーが元気ないなと思ったら、スタッフとの橋渡し役にならないといけない。大人との間に入ることもあれば、少し様子が変だなって思ったらその子が前向きに動けるようにどうやって言葉を投げかければいいか、ストレートに投げるだけじゃうまくいかないグループだったので。ここは私が言ってもダメだから、この子に手伝ってもらおうとか、そのあたりのバランスは強く意識していました。
──メンバーみんな個が強烈に際立ってるし。
でもそれがすごくBiSHの強みだったし、キャプテンという立場が面白かったです、私は。みんなBiSHのメンバーだった時も、ただひたすらまっすぐに生きてきたわけじゃなくて、社会に対して斜に構える部分もあるし、大人に対して斜に構える部分もあるから、それをどう伝えたらいいかなって。でもスタッフの皆さんもそのあたりはすごく上手になって(笑)。上手だったけど、その上でスタッフさんの意見を咀嚼するかとか、逆にこっち側の意見は「チッチが言ってね」ということも多かったから、どうやって上手く伝えたら通るかなとか、そういうことばっかり考えてました。まるで、攻略本みたいに(笑)。
──そういう経験は、人として成熟していく上で貴重な経験でもありますよね。
そうですね。人間力を学ばせてもらったし、視野を広く持っていたいって自分で思っていられたことが良かったです。思考を巡らせることをやめないって自分で決められたので、人間として生きる上ですごい大事なことを学んだし、個性が共存することを受け入れることはBiSHじゃなきゃ学べなかったです。
それぞれの当たり前を押し付けるとやっぱりどうしてもどっちかが我慢することになって、それでお互いが嫌な感じになることって人間にはあるんだけど、BiSHはそうじゃなくて。私は私、あなたはあなた、それが共存していました。「あ、それがあなたなんだね」みたいな、「私はこうだよ」「それでOK、尊重する」というバランスが、ちょうど良かったんですよね。

──今のお話ってすごくこの時代を生きるにおいても重要な気がするんですよね。いろんな考えがあって、SNSで先鋭化された言葉として出ちゃったりすると反発し合ったりもするけど、個をいかに尊重しながら共存していくかは大きなテーマのような気もします。
お互いの意見を言い合うことを逃れてしまうことって今すごい多いと思うし、個性を受け入れすぎてるから言えない言葉もたくさんあると思います。だから、すごく生きづらいなって思う人が多いんだろうなって。以前は、個性が強い人ほど生きづらいって思うような世の中だったけど、今は自分に個性がないなと思う人もお互いが生きづらいって思う時代なのかなと感じています。でも、私はもっと単純でいいなって思うんです。言いたいことは言えばいいし、間違ってたら間違ってるって言えればいいんだけど。私がBiSHで経験したこととして、「それって違うんじゃない?」って思ったことが、違ってない時もあるんですよ。
私の正解と、その子の正解があって。もちろん正論で突き通したら押し通せることもあるんです。でも、決してそれが最適解ではなくて。相手にもできないことがあって、私にもできないこともある。それぞれが、当たり前にできるって思ってたら大間違いで。「まっすぐ歩け」って言われてもまっすぐ歩けない人もいるんですよね。そこを理解し合うこと。優しさや愛情がちゃんとそこにあれば、世界は変わるのになって思ったりします。
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