演じ続けてきた20年を経て清水邦夫の名作戯曲に挑む
「やっと心から笑えるようになりました」岡本玲が憧れてばかりの自分を肯定できた理由
2025.10.09 18:00
2025.10.09 18:00
岡本玲を、ただ可愛らしいだけの女優だと思っていると大間違いだ。彼女には、泥臭くて根深い役者の業が息づいている。それは、表現の場を求めて、自主公演を企画するといった貪欲でタフな一面のことだけを言っているわけではない。
「自分のことをつまらない人間だと思っていた」と彼女は言う。違う誰かになりたくて演じる道を選んだ。そして今も演じることで、自分という人間を証明し続けている。演じることから逃れられない。だから、岡本玲は根っからの役者なのだ。
そして今、自分で自分に貼った「つまらない」というレッテルを捨て、つまらなくて、ささやかな日常を彼女は慈しみはじめている。そこには、どんな心境の変化があったのか。「未来の自分が楽しみ」と笑顔で言えるようになった岡本玲の心の変遷を辿った。

人って演じざるを得ない生き物なんだと思う
──近年、宮田慶子さんに栗山民也さん、桐山知也さん、上村聡史さんと素晴らしい演出家との作品が続いています。岡本さんはいつもどういう基準でご自身の出演作を決めているんでしょうか。
あんまり選びたくない、というのが大前提にあります。求められたところで自分のベストを尽くしたいという気持ちがあって。だから、自分からこの人とやりたい、この作品がやりたいという欲は持たないようにしています。
ただ、お客様に観ていただく以上、自分が胸を張って届けられる作品に参加したいという気持ちはあります。だから、あえて言うならば、自分がその作品から感じたものをちゃんと言葉にできるかどうか。自分がちゃんと言葉にできるものなら、胸を張ってお客様にお届けできると思うので。
──そんな岡本さんの新たな出演作が、10月11日開幕の舞台『狂人なおもて往生をとぐ ~昔、僕達は愛した~』です。作は、4年前に没した演劇界のレジェンド・清水邦夫さん。この作品から感じたものを、岡本さんはどんな言葉で表したいですか。
血が沸々と蠢いているような、それでいて怖いくらい冷静で。清水さんの書く言葉には、悪魔的魅力がある。触ると危ない、でも触りたくなる毒の花のようです。ここに書かれていることは、現代を生きる私たちには馴染みがあまりないですが、日本人の血として理解できるものがある気がしました。
──本作が書き下ろされたのは、1969年。今から50年以上も昔です。現代の感覚からは少し距離のある昔の作品が今なお上演され続ける理由はどこにあると思いますか。
人が生きる上で普遍的なものが描かれているからだと思います。でも、そう理解した上で台本を読んでも、底が知れない力がある。1つわかった気になっても、今度は3つも4つもわからないことが増えていくんです。簡単に好きと言うことがおこがましく感じるような作品ですよね。
──本作は、娼家に集まった男女が、まるでゲームのように“家族ごっこ”に興じていきます。
家族だからこそ“ごっこ”をしないと生きていけないのかなと思いました。たぶんこの“ごっこ”をしている感覚は、現代のリアルな家族にもあるものだと思うんですね。なぜなら、家族とは生まれてからずっといちばん身近で、いちばん影響の強いコミュニティだから。そんな切っても切れない、逃れられない運命を、演劇を通じて体験するという行為はものすごく濃いものになるだろうし、フィクションだからこそ、観た人それぞれが何か思い出すものがあるんじゃないかと思います。
──社会の一員として適切に機能するために、何かしらの役を演じている感覚はきっとみんなある気がします。
人ってそれが上手ですよね。というか、それがないと動物になっちゃう。とても面倒くさいものだけど、人間が人間たる所以であり、みんな常に自分の演じるべき役というものを探求しながら生きている気がします。
──今こうやって話しながらも、女優を演じている感覚はありますか。
本当は演じたくないんですよ。でも、演じざるを得ない生き物なんだと思います、人って。そのままの自分でいますという人でさえ、それはそのままの自分を演じているわけだから。よく思いますもん、なんで日常生活ではこんなにお芝居が上手だなと思うのに、舞台の上ではうまくできないんだろうって(笑)。なんか、身近なコミュニティのほうが役割を演じている気がしません?
──わかります。それこそ家族なんてその最たるものです。
本当にそうだと思います。いちばん身近で、大切だからこそ、本音をさらせない。

──岡本さんは、実際のご家族では次女というポジションです。
やっぱりバランサーだなと思います。どこか少し遠くの位置から家族を眺めているような。当事者にならないように振る舞ってる部分はある気がします。
──そういうポジションって、特に若い頃はハウリングを起こしませんか。
ハウリングを起こしたから、役者をやっているのかなと思います。私が今こうしてお芝居がないと生きていけない人間になったのは、幼少期の体験だったり、幼い頃から自分で自分を縛りつけている何かが原動力になっているんだろうなって。お芝居をしているときだけ、その縛りつけている何かから解放されるんです。おかげで、余計にハマって抜け出せない(笑)。
──お芝居は究極のごっこ遊びだと言われますが、自分ではない人間になり代わって、普段絶対に出せないような強い感情を公衆の面前でさらけ出している姿は、どこか狂気に近いものを感じます。
私はむしろそうやってさらけ出している自分のほうが優しいなって思うんです。だって、お芝居をやっているときは常に相手のことを考えているし、お客様のことを考えている。逆に言うと、自分のことは何も考えていないんですね。どれだけ泣き叫んでも、罵倒しても、そこには他者への絶対的な愛と優しさがある。私にとって、演じている時間は自分が生きている中でいちばん優しい時間なんです。
──そうか。素の自分に戻ってきたときのほうがよっぽど我儘で強欲なんですね。
そういう自分に気づく瞬間が、すごくストレスで。そのフラストレーションをお芝居で昇華しているという感覚です。
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