2025.10.23 17:00
自分の体験を役に投影することへの葛藤があった
──ご自身はどうですか。俳優なんて、なりたくてもなれる職業ではありません。何者にもなれなかったらどうしようという心の弱さに怖気づくことはなかったですか。
その頃、ちょっと投げやりになっていたんですよね。これでうまくいかなかったら、もう人生どうでもいいやぐらいの感じで決めたところがあって。今考えると、すごい怖いことですけど、だから当時はあんまり感じていなかったです。
──そうか。高校生活がわりと底だったから。
そうなんです。あとはもう上がるしかないなって。で、進学した先に櫻井健人という今同じ事務所にいる俳優がいて。彼から紹介してもらって今の事務所に入ることになりました。

──最初に事務所の養成所でレッスンを受けていたんですよね。どんなことを学んだんですか。
まずは台詞をどうやって人に届けるかという基礎からやったんですけど、こんなに難しいんだって思いました。ドラマとか映画を観て、お芝居ってこうすればいいんでしょという甘い考えが自分の中にあって。それがまったく通じないところから始まって。そうか、相手に台詞が届いたら、ちゃんと返ってくるんだってことを発見したり、返ってきたものをちゃんと聞くことがどれだけ大切かを実感したり。お芝居って、台詞とト書きをなぞっているだけじゃないんだな。人との交流なんだなということを、養成所で学びました。
──人と交流するには、自己を開示することが大事です。それは得意でしたか。
最初は苦手でした。やっぱり恥ずかしかったんですよね、できない自分を見せることが。でも俳優って、できる自分を見せることはもちろんですけど、できない自分を見せることも仕事だから。不器用で無様なところに人は愛着を持つんだということがわかってくると、自分を見せることに抵抗がなくなった。なんなら人のことももっと見たいと思うようになった。お芝居を始めてから、確実に人のことが好きになったと思います。
──わかります。俳優をやっていると、人が好きになりますよね。
それこそ俳優さんに対しても、テレビの印象だけでこういう人なんだろって決めつけているところがあって。でも話してみたら、めっちゃ魅力的な人じゃんって思うことがありました。それは、相手が僕のことを知ろうとしてくれている、好きになろうとしてくれいるからで。そういう姿勢を感じると、僕ももっと好きになりたいってなるんですよね。
──それは、具体的にどなたのことでしょう。
僕のスクリーンデビュー作である『草の響き』でご一緒した東出(昌大)さんです。僕が演じたのが、友達が死んじゃう役で、そのことを東出さん演じる和雄に告白するシーンがあるんですけど、自分自身の体験を役に投影することがお芝居にとって本当にいいことなのか、ただの自己満足なんじゃないかという葛藤があって戸惑っていたんですね。そしたら、東出さんと監督が相談に乗ってくれて、「僕たちが今できることは映画をつくることだから、自分の体験を精一杯生かすことが正しいんじゃないか」と導いてくれたことが、僕の助けになりました。

──踏み込んだことを聞いてしまって申し訳ないのですが、自分自身の体験を投影するということは、林さんにもお友達を亡くされた経験があったということでしょうか。
そうですね。それも撮影のちょっと前に起きたことで、自分の中でも整理がつかないまま現場に行っちゃったところがあって。正直に言うと、役が決まった段階で、「あ、この経験が生きるな」と思っちゃったんですね。そんな自分がすごく嫌で、気持ち悪くて、東出さんと監督の前でも感情的になっちゃったんですけど、そんな僕にお二人が寄り添ってくれたおかげで、あのシーンはなんとか乗り越えることができました。
──ということは、東出さんと並んで話しているあのシーンは、役でありながら、どこか林さん自身もそこにいた感覚があったのでしょうか。
最初はそうなるかなと思っていたんです。でも段取りでもテストでも、ずっと監督から全然ダメと言われ続けて。何回も何回もやり直していくうちに、どうすればいいのかわからなくなって、頭が空っぽになったんです。その状態で本番に入ったらオッケーをもらえて。結局、いろんな雑念を排除した状態で台詞を言ったときがいちばん良かったんですよね。お芝居って、自分の気持ちはどうでもいいんです。そうじゃなくて、ただ目の前の人と向き合うこと。台本に真摯に向き合うこと。それがいちばん大事なんだと気づかされた経験でした。
──今の話を聞いて思い出したのが、ABEMAで配信されているドラマ『透明なわたしたち』の尾関です。役柄もあるとは思うんですけど、林さんの演技って決して自分からは何も語らないんですよね。もっと役にいろんなものを乗せていいのに乗せない。だからこそ勝手に情報量が漏れ出るというか、受け手が読み取りたくなるような吸引力がありました。
うれしいです。確かに他の作品でも表情で語らないというか、こういうふうに読み取ってほしいというお芝居はしていないなと思っていて。特に尾関の場合は、自分の思っていることを表に出せないからこそ、ああなってしまった。監督からもあまり顔に出さないようにしてほしいという演出があって、あのお芝居になったというのはあります。

──いい目をしていますよね。
うれしいです。
──ご自身で、自分の目をどう評価していますか。
う〜ん、いい目だと思います(笑)。
──表に出ると、自分を客観視しなきゃいけなくなるから、そういう内省も増えるんじゃないかと思っていて、そのあたりを聞いてみたいです。
僕って何を考えてるかわかんない顔してるんだな、というのは確かにあって。だからこそ、逆にわかりやすいお芝居を求められたときは、自分が思ってる以上にオーバーにやらないといけないなっていうのは、自分の出ている作品を客観視したときに思うことだったりします。
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