映画『ぶぶ漬けどうどす』が描く京都文化に3人は何を思う?
「全部さらして言う本心に価値がある」大友律×若葉竜也×冨永昌敬監督の同調社会での振る舞い方
2025.06.17 18:00
2025.06.17 18:00
何重もかぶった殻を引っぺがしてる最中です
──本作に出てくる京都人は、はんなりした京言葉で本心を包み隠すようなコミュニケーションをとります。ああいう空気を読む仕草って、同調圧力の激しい現代社会では京都人に限らず、みんな似たようなことをやっている気がして。過剰に空気を読むことを求められ、なかなか本心が言えない現代社会にみなさんはどう対応していますか。
若葉 僕はわりと意識的に本心を言うようにはしています。僕は別にバラエティに出たりしないですけど、そういう機会があったとして「おいしい」と言わなきゃいけないような空気があっても、別に「まずい」と言う必要はないと思いますけど、「あんまりです」とか「好きじゃないですかね」とは言うと思う。そうしないと、どんどんすべてが嘘になってしまって、たとえば本当に面白いと思う映画に出会ったときに「面白い」と言ったとしても、その嘘の一つに紛れてしまう気がするんです。それがすごく嫌なので、なるべく意識的に自分が思ったことをちゃんと伝えようとしています。
大友 僕は真逆です。波風を本当に立てたくなくて……。
若葉 (笑)。
大友 なるべく口論にならないように、何重にも殻をかぶって生きてきたので。その殻を引っぺがして、もっとちゃんと社会と関わって生きていこうと思っている最中です。

冨永 空気を読むことについては、監督として現場に入る限りは意識してやっていますね。カメラに集中していると、自分の背後が見えないじゃないですか。撮っているもののことばかり考えて、後ろにいる人たちのことがわからなくならないように。カメラの中のことに関してはまったく空気を読まないですけど、現場の様子にはすごく気を遣って生きています。なぜなら、監督というのは、空気を読んでしまう人の声を聞かなきゃいけないポジションだから。空気を読むのは悪いことばかりではなくて、時に必要なことだとも思います。
──本心を言えない同調圧力の歪みが、SNSをはじめとしたインターネットに表れているのも現代の特徴です。匿名だから言える本心に価値はあると思いますか。
若葉 僕はメディアに出るときは、余計にそれを意識しているかもしれないですね。さっき冨永さんがカメラの中のことは空気を読まないと言っていたことに近くて。メディアに出て、自分の名前と顔を全部さらした状態で本当のことを言うことに価値を見出していて。逆に、プライベートで友人とご飯を食べているときに「これ、おいしいよね」と言われたら、たとえおいしくないと思っていても「おいしい」と言ってるかもしれない。じゃないと結構ヤバいヤツだと思われるので(笑)。
人とコミュニケーションをとっていく上で、「自分はこう思うからこうなんだ」ということだけ言っていても人間関係は構築できない。単に、空気を読んで自分の本音を隠しちゃいけない瞬間に対峙する回数がメディアに出てるときの方が多いから本心を言うことに価値を見出しているだけで、それ以外では自分の本心なんて二の次かもしれない。

大友 SNSをはじめとした、自分が被害を受けない状況で正直なことを言っても、その発言に対する責任って、対面で名前を出してコミュニケーションをとっているときとは全然違うと思うんですね。自分の姿をさらして言える本心に価値はあると思いますけど。何も被害を受けない状態で言う本心って、そもそも本音なのかなという疑問を感じます。
──たとえばお二人は芸能人ですが、こっそり愚痴垢をつくりたいと思ったことはありますか。
若葉 ないですね。
大友 僕もないです。
若葉 ムカついたときは友達と喋ったほうが気も晴れますし。
大友 愚痴垢で言いたいことを言ってもいいことが何も起こらない感じがしますね。 そこで発散したところで、また自分一人になったらマイナスの気が自分に返ってくる気がして、その悪循環なのかなって。
若葉 でもあれか。自分のことをよく知らない人のほうが本当の悩みを喋れる瞬間もありますもんね。
大友 ああ〜。
若葉 難しいなあ。だから、愚痴垢を否定するつもりはないですけど、僕自身がつくりたいと思うことはないですかね。
