全力で走り抜けた映画『パリピ孔明』公開を迎えた胸中とは
観たもの、演じたもの、歌ったもの全てが原動力。上白石萌歌が表現者であり続けられる理由
2025.04.28 18:00
2025.04.28 18:00
日記に書き残したことが指針になっている
——ちなみに『パリピ孔明 THE MOVIE』の撮影期間と、昨年末にリリースされたadieuの最新作『adieu 4』の制作期間は重なっていたんですか?
ちょうど映画を撮り始めていた時期と『adieu 4』の制作期間が重なっていましたね。昨年adieuとして「SUMMER SONIC 2024」に出演したのですが、それが映画のライブシーン撮影の翌日だったんです。それもあって、アーティストモードのスイッチがずっと入っている状態が続いていて。そのモードで撮影期間も走り抜けられた気がします。
──映画のなかで「孔明のために歌う」という部分が重要なキーワードになっていますが、萌歌さん自身、誰かのために歌うという感覚になることはありますか?
すごく難しい質問ですね。でもadieuの場合、本当に各曲のなかに異なる姿形の主人公がいて、その人が誰を思うかということなので、普段自分が関わっている生身の人間を思い浮かべたり、その人のために歌うというよりは、妄想の先にいる人とか、この曲を聴いて感じてくれた人に届けばいいなと思って歌う感覚が大きいですね。
楽曲に関しては、提供してくださる色々な音楽家の方の才能をいただいています。なので、自分がプロジェクターになったような気持ちで、「この人の世界はこうだよね」というイメージ、そしていろんな景色を自分を通して伝えていきたいという気持ちがあります。自分のようで自分ではない、という不思議な境目にいつもいる気がしますね。

——また映画では詩羽さん演じるshinというライバルの存在もフィーチャーされていますが、萌歌さん自身、表現者として切磋琢磨しながら意識するような存在はいますか?
年を重ねるごとに、憧れの人やライバルみたいな人ってどんどん減っていってる感覚があります。私はつい自分と人を比べてしまう性格なのですが、それをやっていると本当にキリがないんです。この世界は素敵な人や魅力的な人ばかりなので、ああなりたいなと思っても所詮は自分だし、演じる対象がいくら変わろうが、どこまでも自分が演じるわけなので。自分でしかいられないというのが唯一、明らかなことだなと思うんです。
だから、結局、自分と向き合うしかなくて。自分の表現として手応えを感じた作品があったとして、あのときの自分より成長できているかとか、壁にぶち当たったときの自分と比べてどうかということを考えますね。
私は日記をずっと書いているのですが、読み返すと「あ、このころよりはマシかな」とか「いや、今のほうがまずいぞ」って感じることがあって。やっぱり自分がライバルであり、切磋琢磨していくべき存在なのかなと思いますね。

——日記をつけているのは、そのときどきの自分の生々しい感情を残しておきたいという思いからですか?
そうですね。今はもう日記帳の数が十何冊くらいになっていて。中学2年生くらいから、毎日ではないですが思い立ったときに書いています。「今日あったことを忘れないでいたい」という思いで書いてます。いくらその日に嫌なことがあったり、たとえ何もなかった日だったとしても、自分の大事な人生の一部だという感覚があって。
日記を書いて発散するという側面もありますが、日記に書き残していたことが自分の指針になっていくんですよね。例えば台本を読んで難しいシーンがあったら、「こういう気持ち、昔の自分にあっただろうか?」と日記を読み返したりすることもあります。最近、友人が3年日記というのを始めたのですが、その日記は3年分の同じ日が横に並んでいる構成になっているんですね。その友人が「2年後の自分を悲しませないように今日を書く」と言っていて。その言葉にすごく共感しました。自分自身も年輪のように重ねていくものだと思うので、私もそういう日記をつけたいなと思っています。
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