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「みんなが仲良かった時代もあった」と弟が振り返る

2Pacがデス・ロウ・レコードの前にバッド・ボーイとの契約を検討していたと明かされる

2023.10.18 20:20

2Pac『All Eyez On Me』

2023.10.18 20:20

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1996年に25歳という若さで亡くなった伝説的なラッパー2Pac。社会的なメッセージを込めたリリックで世界中のファンの心を掴んだヒップホップアイコンだが、彼は悪名高い〈Death Row Records〉と契約する前にノトーリアス・B.I.G.などが所属した〈Bad Boy Records〉と契約することを検討していたようだ。

2Pacとノトーリアス・B.I.G.は友人だったが、1994年に2Pacがニューヨークに滞在中に銃撃されたことにより関係が悪化し、仲違いする。シュグ・ナイト率いる〈Death Row Records〉と、ディディーが率いる〈Bad Boy Records〉はレーベルぐるみで敵対していたが、2Pacの弟であるMopremeがポッドキャスト「The Art of Dialogue」の最新回にて当時のことを語っている。

「俺ら全員の関係が良好だった時期もあった。2Pacが〈Death Row Records〉と関係を持つ前、〈Bad Boy Records〉と契約することを検討していたときもあったぐらいだ。彼は黒人が運営するレーベルと契約したがっていたし、ブラザーたちと一緒に仕事をしたがっていた。彼はブラック・ビジネスを応援していた。

みんな仲良かった時代もあったけど、徐々に2Pacには色んなものを見えるようになった。ビギーはディディーのレーベルに所属していたから、ディディーが全ての決断をして指示していた。そして多くの問題が生まれた」

2Pacは1994年にニューヨークで起こった銃撃事件について、〈Bad Boy Records〉の差金によって撃たれたと疑っており、その事件が原因でヒップホップ史に残るビーフと発展した。彼は1996年にラスベガスにて銃撃され亡くなったが、事件から27年が経った今年の9月29日に米ラスヴェガス市警はギャングの元リーダーのドゥエイン・“キーフィー・D”・デイヴィス被告を逮捕・起訴した。

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1996年9月魔の凶弾に倒れ、25歳の若さでこの世を去ったトゥパック。
本名、トゥパック・アマル・シャクール。
トリッキーかつユニークなヒップホップ・グループ=デジタル・アンダーグランドの構成員としてヒップホップ界潜入後、91年ソロ・デビュー。以来『ミー・アゲインスト・ザ・ワールド』(95年)、『オール・アイズ・オン・ミー』(96年)といった歴史的ヒップホップの名盤/ミリオンセラーを連発。映画『ジュース』(92年)をはじめ俳優としても活躍、また暴行、レイプ、 投獄というセンセーショナルなゴシップを放ち続け絶大な人気を確立。当時米ヒップホップ界に起こっていた西海岸vs東海岸抗争の矢面に立った彼はその抗争の象徴的な西海岸の犠牲者として死を迎える(東海岸の犠牲者はザ・ノトーリアス・B.I.G.)。死の直後も、獄中で目覚めた『君主論』(政治思想家マキャヴェリ著)に基づくマキャヴェリ名義のアルバムが発表され全米初登場1位、98年暮れに未発表アルバム、99年2月に未発表曲を含むベスト・アルバムがリリース、いずれもが大ヒットを記録。同年末には晩年の”ホーミー”=アウトロウズとの連名で『スティル・アイ・ライズ』をリリース。エミネム、スヌープ・ドッグ、ドクター・ドレーが惜しみないリスペクトをし続けるなど、いまだその人気は衰えを知らない。

(引用)https://www.universal-music.co.jp/2pac/biography/

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