2023.08.11 17:00
NGT48でのアイドル活動はもちろんのこと、テレビ、ラジオなどあらゆるメディアでユニークなタレント力を発揮し、さらにはモデル、自身のブランド・Recandyを展開するなどファッションシーンでも活躍する中井りか。彼女は、2015年8月にNGT48の1期生としてデビューしてから、8年間アイドル人生を駆け抜けてきた。彼女にとってまさに今は人生の節目の瞬間と言っていい。
後輩NGT48メンバーの佐藤海里、北村優羽を交えた鼎談に続く単独インタビューでは、大きな転機を迎えたこのタイミングで、今までの彼女の人生をグラフにしてもらった。描かれた線をもとにそのときどきのマインドやエピソードを語ってもらうと、破天荒なイメージとはまた違う、素の中井りかが垣間見れることができた。
幼少期 〜 アイドルの芽生え
──中井さんのグラフを元にお話を進めたいですが、0歳の生まれた頃が最高潮になってますね。
最高潮だったと思います。親戚めちゃ多いんですけど、いとことかみんな男の子で初めての女の子だったんです。みんな喜んでくれて、愛されて育ちました。
──幼少期はどんな子だったんですか。
幼稚園の頃はピラミッドの頂点にいるような、カースト上位な感じでしたね。友だちもたくさんいたし、ほんとにやりたい放題でした。好きな子にすぐ「結婚して!」って言って、3人ぐらいと結婚の約束してました(笑)。おじいちゃんとおばあちゃんに甘やかされてたので、家で覇権を握ってました。
──言ってしまうと、わがままな姫状態だったと。
そうです。わがままな姫状態でした(笑)。
──小学校からは下がっていきますね。
はい、小学校に入るといろんな地域から来るじゃないですか。いわゆるいじめっ子みたいなガキ大将みたいな女の子と入学式にケンカしたんです。そしたら小学校人生が終わりました(笑)。その子が周りをみんな味方につけて、大人もその子の味方をするような感じだったんです。小学校は友だちが急にいなくなって、ずっとひとりでいましたね。
──そうだったんですね。中学校の頃はちょっと変わってきましたか。
そうですね。中学に入ってからは友だちもできたり、ちょっと明るくなりました。あと、小学校6年生ぐらいのときに48グループが好きになって、そこからアイドルを見たり音楽を聴いたりって自分の夢中になれるものを見つけられたんです。この頃からちゃんと自分の世界に入れるようになって、それで結構楽になりました。
──AKB48は何がきっかけで好きになったんですか。
当時すっごく流行ってたんですよ。「ポニーテールとシュシュ」「言い訳Maybe」とかの辺だったと思います。すっごく憧れましたね。もともとうちはテレビより音楽を聴く家庭だったんです。ずっとスペースシャワーTVが流れてて、音楽ばかり聴いてたんです。最新J-POPは絶対知ってるみたいな感じでした。ピアノとダンスをずっと習ってたので、それもあってアイドルってカテゴリーが好きになったんです。さらに遡ると、昔からモーニング娘。とかミニモニ。とかが好きで、全部CD持ってたりカラオケのおもちゃとかも持ってたんですよ。
──幼少期からアイドルは好きだったんですね。
ただ、小6の初めの頃は、48グループのちょっとアンチ気味だったんです(笑)。
──それはどうしてですか。
たぶん、羨ましかったんですよ。この子たちはキラキラしたかわいい衣装着て歌って踊ってるけど、自分は人生のどん底にいて富山の山の中から出れなくてっていう。それで嫌だなって思ってたけど、見ていくうちにどんどん好きになってハマってって感じでした。NMB48が一番好きで応援してました。みるきーさん推しです。
──渡辺美優紀さんのどんな部分に惹かれましたか。
アイドル性が高さですね。「私のことを見て!」「かわいいでしょ私!」っていうのを全力でできるアイドルって強いなと思いました。どんな曲でも表情もパフォーマンスも合わせられるし、とにかく顔が好きでした(笑)。
──自分もアイドルになりたいという気持ちが出てきましたか。
はい。でも私、もともと幼稚園の頃のなりたい職業にアイドルって書いてたんです。それくらい憧れがあったんだと思います。
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