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COLUMN

ヒップホップで社会を生き抜く! 第12回

Run-DMCとエアロスミスの「Walk This Way」 最も偉大なコラボ曲が実現した経緯

2023.01.29 17:30

RUN DMC - Walk This Way (Official HD Video) ft. Aerosmith

2023.01.29 17:30

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楽曲が生んだ両者の“転換期”

RUNとDMCが原曲と同じリリックでラップをレコーディングをした後、リック・ルービンはエアロスミスのスティーブン・タイラーとジョー・ペリーをスタジオに招待する。リック・ルービンは、エアロスミスにスタジオ1日の作業で8,000ドルのギャラを支払ったと当時のマネージャーが明かしており、しかしDMCは当時エアロスミスを見たことがなかったため、「ローリング・ストーンズがスタジオに来たと勘違いをした」とコメントしている。

ジャム・マスター・ジェイはRUNとDMCに「これをエアロスミスの曲だと思うな。Run-DMCのリリックだと思って本気でやれ」と伝え、2人のラップを気に入ったスティーブン・タイラーは「一緒にレコーディングさせてくれ!」と言い、ブースに入ったようだ。DMCによるとスティーブン・タイラーはとてもフレンドリーで、ジャム・マスター・ジェイに「DJを教えてくれ!」と頼んでいたと明かしている。

RUNとDMCはこの曲をシングルとしてリリースすることに否定的だったが、ラジオでの反響を知り、驚いたという。レーベルはヒップホップを流すラジオ局には「Run-DMCの新曲」として送り、ロックのラジオ局には「エアロスミスの曲」として送っていたようで、まさに文化の壁を壊したスマッシュヒットとなった。スティーブン・タイラーとジョー・ペリーも出演したミュージックビデオも公開され、その「対立からの団結」という映像のテーマ性も評価され、Run-DMCバージョンの「Walk This Way」は全米4位にチャートインした。当曲が収録されたRun-DMCのアルバム『Raising Hell』は全米6位を獲得し、ヒップホップで初の100万枚突破をしたアルバムとなった。

エアロスミスのキャリアが復活しただけではなく、この楽曲は文化的にも大きな影響力があった。ラップとロック、そして人種間のカルチャーの壁を壊すという意味でも大きなインパクトを残し、VH1が選んだ「音楽史で最も偉大なミュージックビデオランキング」では1位に輝いた。DMCは「Walk This Way」に関して、「これは世代や文化が違う音楽を団結させたものだ。音楽はそうであるべきだ。進化と団結だ」と語っており、“新しいことにトライする重要性”についても以下のようにコメントしている。

「この曲は歴史に残る曲だ。だから私は毎回学校とかで講演するとき、学生たちにこのように伝える。“新しいことにトライしよう。新しいことに寛容でいよう。自分の人生を変えるだけではなく、世界を変える可能性があるんだ”ってね。もし私たちがサンプリングして、普通にラップをしていたら、ただの良い曲で終わっていただろう。エアロスミスと一緒にやったから、歴史に残る曲になったんだ」

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作品情報

Run-DMC『Raising Hell』

『Raising Hell』ジャケット

『Raising Hell』ジャケット

Run-DMC『Raising Hell』

1986年5月15日(木)リリース

Spotifyはこちら

収録内容

1. Peter Piper 3:22
2. It's Tricky 3:02
3. My Adidas 2:47
4. Walk This Way 5:10
5. Is It Live 3:06
6. Perfection 2:51
7. Hit It Run 3:11
8. Raising Hell 5:31
9. You Be Illin' 3:26
10. Dumb Girl 3:32
11. Son Of Byford 0:27
12. Proud To Be Black 3:15

NY・クイーンズ出身。DJのジャム・マスター・ジェイ(ジェイソン・ミゼル)、MCのRun(ジョセフ・シモンズ)とD.M.C.(ダリル・マクダニエルズ)の3人組。ヒップホップ黎明期の80年代初頭より「オレンジ・クラッシュ」という名で活動を開始し、1982年にRun-D.M.C.に改名。1983年にProfile Recordsより「イッツ・ライク・ザット」でデビュー。翌年のファースト・アルバム『Run-D.M.C. 』は、ヒップホップ・アルバムとして初のゴールド・ディスクを獲得。1985年には出演した映画『クラッシュ・グルーヴ』も公開された(日本未公開)。1986年、エアロスミスのヒット曲をそのまま使った「ウォーク・ディス・ウェイ」は全米4位となる大ヒットを記録。サンプリングではなく、エアロスミスのスティーヴン・タイラーとジョー・ペリー本人がレコーディングに参加、ビデオにも出演して話題を呼んだ。当時彼らが好んで着用していたアディダスのスニーカーやカンゴールのハットはファッションとしても一世を風靡した。その後もリリースを重ねていたが、2002年にジャム・マスター・ジェイが射殺されるという衝撃的な最期を遂げ、グループとしての活動は休止した。
2009年には「ロックの殿堂入り」を果たし、2016年にはグラミー賞ライフタイム・アチーヴメント(功労賞)を受賞している。(2016年1月)

https://www.sonymusic.co.jp/artist/RunDMC/profile/

エアロスミス

アーティスト情報

スティーヴン・タイラー(Vo)、ジョー・ペリー(G)、ブラッド・ウィットフォード(G)、トム・ハミルトン(B)、ジョーイ・クレイマー(Dr)からなるアメリカン・ロック史上最強の5人組。1970年代初めにボストンでバンド結成。1973年にアルバム『Aerosmith/野獣生誕』でデビュー。初のプラチナ獲得アルバムとなった3rd『Toys In The Attic/闇夜のヘヴィ・ロック』(75年)、名盤4th『Rocks/ロックス』(76年)や90年代の大ヒット・アルバム『Get A Grip/ゲット・ア・グリップ』『Nine Lives/ナイン・ライヴズ』など全米でのトータル・アルバム・セールスは6700万枚(歴代10位)、全世界では累計1億5千万枚に到達する。70年代末~80年代頭には一時メンバー脱退劇、解散状態、セールス不振のどん底にいたが、1986年にRUN-D.M.C.と共演した「ウォーク・ディス・ウェイ」で見事復活。その後「エンジェル」「エレヴェイター・ラヴ」「リビング・オン・ジ・エッジ」「クレイジー」「アメイジング」「クライン」などの大ヒットを生み続け、80年代後半~90年代に第2の黄金期を迎える。古巣であるソニー・ミュージックに移籍、その第1弾シングル「フォーリン・イン・ラヴ」も大ヒット、翌年の来日では洋楽アーティスト初の4大ドーム・ツアー(東名阪福ドーム+横浜アリーナ)を成功させ、98年映画『アルマゲドン』主題歌の「ミス・ア・シング」(エアロ初の全米1位シングル)で90年代を感動的なメガ・ヒット・バラードで締めくくった。01年『ジャスト・プッシュ・プレイ』から「ジェイディッド」という大ヒット曲も生まれ、日本でも携帯電話キャリアなどのCMソングになるなど話題となった。翌02年は2度の来日が実現、1月は再び東名阪福ドーム、同年6月にはFIFA日韓ワールドカップのイベントで東京スタジアム(現・味の素スタジアム)でのライヴを立て続けに成功させた。01年“ロックの殿堂”入りを果たす。バンドとしての受賞歴は他にも、「ピープルズ・チョイス・アワード」2回、「ビルボード・ミュージック・アワード」6回、「アメリカン・ミュージック・アワード」8回、「ボストン・ミュージック・アワード」23回、「MTVビデオ・ミュージック・アワード」12回、そして「グラミー賞」4回。さらには、「ミス・ア・シング」で「アカデミー賞/最優秀主題歌賞」にもノミネーされた。また、ローリング・ストーン誌とヒット・パレード誌でも「最優秀ロック・バンド」に選ばれる。“MTVアイコン”に選ばれた初のロック・バンドでもある。72年以来行なってきたツアーの総距離は地球36周分にも匹敵する。70年代から実に5世代にも渡って人気を獲得してきた、最も広いファン層を持つロック・バンドである。11年11月~12月にかけて3週間に及ぶ7年振りのジャパン・ツアーを行ない、10年間オリジナル・アルバムを発売していない中でも延べ10万人以上を動員、その健在ぶりを証明したのは記憶に新しい。

(引用)https://www.sonymusic.co.jp/artist/Aerosmith/profile/

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