2022.10.03 17:00
2022.10.03 17:00
ゲネプロで、こんな熱気を感じたことがあっただろうか? 幕が下りても冷めやらぬその客席の様子に、袖からまずは城田優が登場して深々と頭を下げ、続いて城田、小池徹平の2人が再び登場、再度頭を下げた。彼らの心境を想像するだけで、胸がいっぱいになってしまう。9月30日に行われたブロードウェイミュージカル『キンキーブーツ』の公開ゲネプロでの一幕だ。
『キンキーブーツ』は、2005年に公開された同名映画をミュージカル化したもの。2012年にブロードウェイで上演されるやいなや翌年のトニー賞ではその年最多の13部門のノミネートに輝き、今やブロードウェイを代表する人気演目の1つとなっている。日本版は2016年に初演、2019年に再演され、どちらも大きな評判を呼んだ。そして待望の再再演が、10月1日よりシアターオーブで幕を開けた。
イギリスの田舎町ノーサンプトンの老舗の靴工場「プライス&サン」の次期社長として産まれたチャーリー・プライス(小池徹平)。彼は父親の意向に反してフィアンセのニコラ(玉置成実)とともにロンドンで生活する道を選ぶが、その矢先父親が急死、工場を継ぐことになってしまう。しかし工場は実は経営難に陥っており、倒産寸前。途方に暮れたチャーリーは、ロンドンで出会ったドラァグクイーンのローラ(城田優)にヒントを得て、ドラァグクイーンのためのブーツ“キンキーブーツ”をつくることを決意。チャーリーはローラを靴工場の専属デザイナーに迎えるが、ローラと靴工場の従業員たちに軋轢も勃発。チャーリーは工場の命運をかけ、ミラノの見本市にキンキーブーツを出すことを決めるが……というストーリー。
一度観れば、なぜこのミュージカルが大ヒットしたかはすぐに分かるはず。まずは、この時代に強く響くテーマ性とストーリー。自分の夢を見つけることの大切さや、ありのままの他人を受け入れること、「自分が変われば世界が変わる」という言葉。これを舞台上で体現していくのが、ある意味「一般人代表」のような等身大のキャラクターであるチャーリーと、マイノリティを体現するローラという2人。ミュージカルという“非現実”ながら、そこに描かれているものはとてもリアルで、誰もがどこか思い至るもの。
しかも、音楽を手掛けたのがあのシンディー・ローパー! 彼女にとって初のミュージカル挑戦だったというが、もともと旧知の仲だったという演出・振付のジェリー・ミッチェルとのタッグは結果として大成功。ときにポップに、ときに情感豊かに……劇場を出たあとについつい口ずさんでしまうような、最高のナンバーが畳み掛けてくる。ローラが仲間のドラァグクイーンたち「エンジェルス」を率いて踊るシーンや、工場の人々と一緒に歌い踊る『Everybody Say Yeah』、そしてラストシーンなど、ショーアップされたシーンの楽しさといったら!
今回の日本版再再演は、ローラを演じる城田優以外は初演・再演とほぼ変わらぬメンバーが揃った。チャーリー役の小池徹平はさすがの安定感、物語とカンパニーの要となって確かな歌唱力と演技力で作品を牽引してゆく。コケティッシュなコミカルさで舞台を明るくしてくれるローレン役のソニン、そして体作りからダンス技術まで快哉を叫びたくなるようなエンジェルスの面々。あんな高さのハイヒールでよくぞあそこまで踊れるものよ……!と見惚れてしまう。
注目は城田優演じるローラ。高身長の城田がハイヒールを履くと、髪の毛も入れると2mを超えるのでは!? なんともド迫力のローラが新たに誕生した。
ポイントは、ローラというキャラクターは、「ドラァグクイーンである」ということ。異性の格好ではあるものの、より強い形で自己表現をするという意味では単なる女性的な美しさを追求する“女装”とはベクトルが異なることが多いし、エンジェルスを従えるカリスマとしての立ち位置がパッと見でわかりやすくなっている。
そもそも、『キンキーブーツ』という作品の肝は、チャーリーとローラという「いろんな意味で異なった2人」が理解しあい、認め合うという部分にある。住む世界がそもそも違った2人が「父親への葛藤」という共通点から距離を縮める、そのプロセスがあるからこそ作品メッセージが胸を打つのだし、オリジナルのブロードウェイ版ではそこに「人種の違い」というファクターも加わっているほどだ。
そこで改めて今作。城田ローラと小池チャーリーが並ぶ姿は体格差のインパクトが凄いことになっているが(ヒール姿のローラと並ぶと頭ひとつ分以上!)その分、彼らの“差異”がより際立って見えてくる効果がある。それでいて、チャーリーとのデュエットである『Not My Father’s Son』のシーンでは何度も傷つき、自信を失った少年のような顔が浮かぶ。ミュージカル界でのキャリアで鍛えた堂々たる歌唱力とこの繊細さが、城田優の真骨頂。ダブルのルーツを持つ彼自身が日本社会や芸能界でどういう苦難と軋轢を乗り越えてきたかを考えると、その経験がローラという役柄に反映されているのでは……と思ってしまう。
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