映画『トリツカレ男』の登場キャラクターと重ねて語る人間観
「憑依はできなくても、同じ心にはなれる」上白石萌歌が思う、役を理解する過程の面白さ
2025.11.13 18:00
2025.11.13 18:00
いろんな役を演じることは、新しい友達に出会うような感覚
──物語は牧歌的でコミカルでもある前半と、シリアスな後半で劇的に色が変わっていきますね。
そうですね。ペチカの心情的にはガチガチに凍っていた心を、ジュゼッペという存在にどんどん溶かしてもらって、彼女の心が雪解けしていくように表現できたらいいなと思っていました。彼女の強さが後半にかけて出てくるので、そこは私自身も意識しましたし、物語の大きな緊張感に繋がったのかなと思います。

──ジュゼッペみたいな人に現実で会ったことありますか?
なかなかいないですね。
(スタッフ「原作者のいしいしんじさんじゃないですか?」)
あ、確かに。いしいさんって、いろんなことに心をとりつかれている人で。この前も対談をさせていただいた時に蓄音器がすごくお好きみたいで、私にすごい熱くプレゼンしてくださって(笑)。いしいさんのそういう趣味性などもジュゼッペのパーソナリティに反映されている部分があるのかもしれないですね。思い返せば、「これは僕の話だ」っておっしゃってもいたので。

©2001 いしいしんじ/新潮社 ©2025映画「トリツカレ男」製作委員会
──萌歌さんは幼少期をメキシコで過ごした経験をお持ちですが、「死者の日」という生と死のあいだの繋がりを祝う文化があるメキシコでの体験が『トリツカレ男』のストーリーと結びつく部分はありましたか?
そこは特に意識はしませんでした。けれど、「とりつかれる」という日本語は怖いイメージを持たれる方が多いですよね。悪魔に取り憑かれるとか、怨霊とか。メキシコも亡くなった人のことを大切に思い続けたり、目に見えないものを信じる文化があるので、確かに今話していて、概念的な部分で通じるところもあるなと思いました。
──俳優の中には憑依型と言われる方もいますが、萌歌さんはどうですか?
私は「今、憑依してるな」って思ったことが一回もないんですよ。「同じ心になれたな」と感じる瞬間はあるんですけど、違う人が自分の体を借りて存在しているような感覚にはなったことがなくて。自分の体を貸してその人の心になるという感覚の方が近いかもしれないです。だから、よく「役が抜けない」という方もいますけど、私はあまりそういうことはなくて。生活の中でその役のことを思い出すという感覚はわかるんですけどね。憑依できたらいいのになって逆に思います(笑)。

──憧れはある?
正直、憧れます。私が見ていても普段の生活の中でもその役っぽくなってるなって思う俳優さんってやっぱりいるんです。そういう感覚ってある日突然つかんだりするんですかね? とにかく今の私は役に憑依はできないけど、できるだけその役を愛せれば、同じ心になれると信じてます。
──では、どうしても共感できない役やご自身のパーソナリティとは真逆の役などはどう演じますか?
「まぁ、そういう人もいるよな」って思うようにしてますね。自分にはないところを知ると、それはそれでなんか面白いとも思いますし。理解はできなくても、関心を持つとすんなり役の心になれる時があるので。その状態も面白がる感じですね。好奇心が役の心を開くと思ってます。

──日常で人と接する時も、そういう意識がありますか?
そうですね。毎日いろんな人と会う中で、その全員と共鳴するのは本当に難しいと思うし、現実的ではないと思います。でも、その中でもいろんな人がいるなという理解を楽しむ、という感覚でいます。そういう意識でいろんな役を演じる中で、新しい友達に出会うような感覚にもなりますし、人の生き方が多様化している時代だからこそ、いろんな考え方や生き方を教えてもらえるこの仕事の面白さを感じてますね。
──ニュートラルな感覚を大事にしたいという萌歌さんの信条がうかがえます。
そういう意味では家族と過ごす時間がニュートラルな自分にしてくれますね。特に両親と過ごす時間はいつもハッとするような言葉をもらえるんです。「今の自分、なんかちょっといい感じだぞ」って浮足立っている時に、すごく冷静に「そんなんじゃダメでしょ」って言ってくれたり、常に冷静に自分のことを見てくれているし、律してくれる。そういう家族の存在は私にとってとても大きいです。
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