2025.10.05 17:00
2025.10.05 17:00
何気ない瞬間に目を惹かれ、いつの間にか「気になって仕方ない存在」になっている。鳴海唯はそういう俳優だ。
当の本人はと言うと、取材部屋に現れるなり「脳に糖分を入れてきました!」と気遣いを見せ、話せば話すほど役ではない一人の人間としての吸引力を感じさせてくれる。そう、私たちが鳴海唯の虜になる時、きっとそこには「壁がない」のだと思う。
そんな鳴海の最新出演作『アフター・ザ・クエイク』は、村上春樹の短編連作『神の子どもたちはみな踊る』を原作に、4月に放送されたNHKドラマ『地震のあとで』全4話を1本の映画に再編した作品だ。阪神・淡路大震災が起きた1995年から続く30年間に点在する4つの物語で、鳴海は岡田将生、渡辺大知、佐藤浩市と共に主演。家出して辿り着いた鹿島灘で焚き火が趣味の男・三宅(演:堤真一)と出会い、その火に導かれるように交流を重ねていく順子を演じている。
静かに深い余韻を残すこの作品で、鳴海唯は演じながら何を感じていたのか。真摯に、そして素直に答えてくれたその言葉は飾らない魅力で溢れていた。

理解できない行動は自分の経験に置き換えたりしてます
──いきなりですが、先日「よさこい祭り」に行かれてましたよね。(取材は8月中旬) 初参加してみていかがでしたか?
すごく楽しかったです。思ってた何倍も街中が爆音で、すごい心臓にくる音なんですよ。皆さんの熱量がすごくて、この日のために皆1年かけてるんだなって。ものすごく楽しかったので、行ったことない方は一度は絶対行って見てほしいなと思いました。
──そんな中、鳴海さんの主演映画『アフター・ザ・クエイク』が公開を迎えます。ドラマの時からたくさん考察記事が上がるくらいさまざまな解釈を生んでいた作品ですが、鳴海さんは観る側、演じる側としてこういった解釈を委ねられる作品はお好きですか。
そうですね、観る側としては嫌いじゃないです。でもどちらかというと、観る側よりも演じるほうが好きです。視聴者に解釈を委ねる作品はすごくやりがいがあるので、特に好きですね。
──そのやりがいは具体的にどんなところに感じるんでしょうか。
わからないからこそありきたりな表現ができなくなりますし、ということは新しい表現に出会えるチャンスになるので、そういう意味で挑戦しがいがある……それがこの作品にこんな豪華なキャストの方々が集まっている一つの理由なのかなって。皆さん、これまでにない表現を求めて参加していらっしゃるんじゃないかなって私は勝手に思っています。
──その挑戦という意味だと、堤真一さんとの焚き火のシーンがありますよね。画面が暗い中で特に動きなく、対話だけで見せていく場面は演じる側としても挑戦だったのではと思いました。不安や恐怖は感じなかったですか。
焚き火のシーンは、CGを使おうと思えば使えたと思うんですけど、それを一切せずに全部本物の火でやるっていうことを決めて挑戦していたんです。スタッフさんが時間をかけて何回も何回も海辺でテストして臨んだ撮影だったので、そこに対する恐怖とかは特になく、むしろこの火を使えたからこそ生まれてきた感情というのがたくさんありました。なので、そういう決断をしていただいて本当に良かったなって。この作品の質感を決める大事なポイントになったなと思います。

──焚き火監修の寒川一さんが、火の点滅具合にもとてもこだわられたと拝見しました。
はい、他の作品にはなかなかない挑戦だったと思います。
──鳴海さんご自身も、人生でなかなか経験し得ないような役柄にこれまで挑戦してきたと思うのですが、そういった自分の想像の範疇を超える役柄を演じる時、どのように足りないところを埋めていくのでしょうか。
最近は置き換えたりしていて。それは、この人がした行動はわからないけど、「この人にとってのこの行動が、私にとってのこの行動だったかもしれない」という置き換え。例えば受験に失敗して自殺しちゃうとか、そういう役があった時、全く理解できないけどこの子にとっての受験が私にとって両親を失うぐらい大きな出来事だったのかなとか。そういうふうに自分の中にある経験に置き換えてみて、同じレベルで感じることができたらちょっと理解できてるのかな、とか。まだ全然実験的なんですけど、そういうことを考えたりしてます。

──ドラマでは、原作にない描写として順子が線路に足を踏み入れるシーンがありました。あれは順子の中にある何があの行動をさせていたと思われましたか。
あのシーンは「そこにいるのにいない」っていう、ちょっと矛盾してるんですけど、気がついたら違う世界に行ってしまいそうな揺れ動いてる瞬間を多分表現していて。足がおぼつかない感じとか、浮遊感を大事にしようって監督とも話し合いました。でも、順子は線路に入って行くんだけどいつもカンカンカンカンって音が鳴ると消えていくんですよ。だから彼女の中の「消えてしまいたい、でも消えたくない」っていう、葛藤や浮遊感みたいなものが表現されているのかなって思います。
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