今こそ“再生の物語”が能登で上演されるべき理由を考える
吉岡里帆と蓮佛美沙子の二人芝居『まつとおね』開幕、時代を超えた絆が私たちに問いかけるものとは
2025.03.06 18:00
2025.03.06 18:00
舞台『まつとおね』が開幕した。
本作は、加賀百万石の祖・前田利家の妻まつと、天下統一を果たした太閤・豊臣秀吉の妻おねの友情を描いた物語。まつを吉岡里帆、おねを蓮佛美沙子が演じている。
脚本は、『天地人』『花燃ゆ』で2度の大河ドラマ執筆を手がけた小松江里子。演出は、歌舞伎俳優の中村歌昇。昨年発生した能登半島地震の復興祈念公演であり、会場も地震による被害を受けた石川県七尾市の能登演劇堂で行われる。なお、能登演劇堂で舞台公演が催されるのは、地震以降で本作が初となる。
戦乱と災害。時代は変わっても、理不尽によって人々の生活が脅かされる現実は今も変わらない。その中で、私たちはどう生きていくべきなのか。戦国の世を生きた二人の女性の祈りが、今、現代に放たれる。

吉岡里帆と蓮佛美沙子が演じる対照的な人生
「赦す」とは、どういうことだろうか。人の心は、ほんのささやかな隙間から魔物が巣食う。菩薩にも鬼にもなるのが、人である。まつとおねもそうだった。
物語は、かの有名な「醍醐の花見」から始まる。天下人となった秀吉。その正室であり、当時の女性としては最高位である「従一位」を授かったおねの心をわずらわせるのは、側室・淀殿。それぞれのプライドがにじむ盃争い。女同士の牽制をとりなしたのは、まつだった。夫がまだ立身出世を遂げる以前から同じ長屋に住んでいたまつとおね。親友同士の日々が、まるで日記をめくるように綴られる。
しかし、時代の趨勢は友情さえも翻弄する。秀吉が亡くなり、安泰と思われた豊臣政権に不穏な影が。さらに秀吉亡き後、その天下を継ぐと約束した利家も没する。夫を喪ったまつとおねは、天下分け目の争いに巻き込まれ、流転の道を辿っていく──。

本作の見どころの一つが、格調高い演出だ。中村歌昇が自身のチームを率いて演出を手がけただけあり、舞台美術や般若の面など随所に伝統芸能のエッセンスが盛り込まれている。中でも、中盤に出てくるまつとおねの舞のような心象風景の表現は幽玄かつ、どこか妖異ですらある。すがるように手を伸ばし、届かぬ何かを追い求めるように彷徨うまつとおね。その波乱の半生を凝縮したような演出に、一瞬にして心も視線も奪われた。吉岡と蓮佛の演技も古典の形式を取り入れたものになっており、現代劇では味わえない非日常の世界に取り込まれていく快感が血流を駆けめぐる。吉岡の演じるまつは、まさに菩薩。若き日は無邪気な愛らしさを、晩年は悔恨を秘めながらも決して飲み込まれない力強さを、吉岡が持ち前の透明感と清廉さで表現する。一方、蓮佛演じるおねはその対極だ。複雑にねじれた心の様相を、蓮佛が鬼のように激しく演じ、観客を釘付けにする。
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