舞台『まつとおね』に懸ける想い、二人の友情に感じたことは
「正解がないことだから、考え続けたい」蓮佛美沙子が信じるエンターテインメントの持つ力
2025.01.29 18:00
2025.01.29 18:00
蓮佛美沙子は、とても感受性が豊かな人だ。心の扉を開き、目にする景色を、肌で感じた風の匂いを、胸の奥をキュッと鳴らしたあらゆる経験を、演技の血肉にして、役を生きる。だから、彼女の芝居には嘘がない。
いくつもの役に息吹を吹き込んできた蓮佛美沙子が新たに命を与えるのが、戦国時代を生きた天下人の妻。令和6年能登半島地震復興祈念公演『まつとおね』で豊臣秀吉の正室・おねを演じる。
地震と豪雨という天災の爪痕がいまだ生々しく残る能登で、様々な葛藤を抱えながら、それでもエンターテインメントにできることを信じて、蓮佛は舞台に立つ。
京都に行って、おねに会えた気がした
──おねという女性にどんな印象をお持ちでしたか。
本当に勉強不足でお恥ずかしいんですけど、歴史に疎くて、名前を知っているくらいだったんですね。ですから、どういう人かを知るところからのスタートでした。
まずはなぜ秀吉が天下統一できたのかというところをから知ろうと思って、今回の『まつとおね』の時代よりちょっと前、織田信長が活躍した頃のことから勉強を始めました。図書館に通いつめて、大人向けのものから小学生が読むようなわかりやすい歴史の本まで、いろいろと読んでみたり、竹山(洋)先生の書かれた『利家とまつ』を読んだりして。まだお稽古まで時間があるので、今は探り探り調べているというところです。
──そうやって知識を得ていくことで、おねという人物像が肉付けされているような感覚はありますか。
そうですね。おねは朗らかで気さくで、感情の発露が豊かな人。思ったことを素直に口に出すような明るくて面白い女性だったんじゃないかなという印象がベースにあります。
あと、先日京都にも行ってきたんです。秀吉の死後、秀吉の菩提寺としておねが建立した高台寺と、おねが晩年過ごした圓徳院に行って。今回の台本の終盤にも高台寺が出てきて、「こんなに坂が多いとは思わなかった」というような台詞があるんですけど、行ってみたら本当に結構急な坂で、ほとんど丘みたいな感じだったんですよ。まつはこの坂を上っておねに会いに来てくれたんだと実感が湧きましたし、何より圓徳院の入り口をくぐったときに、おねに会えちゃった気がして。
──おねに会えた?
そこだけ吹く風が違うというか、すごく空気が柔らかったんです。都合のいい解釈だなと思いつつ(笑)、おねに迎え入れてもらった気がして。彼女の中にある凜とした強さと穏やかさにふれたような気持ちになって、この感覚は忘れちゃいけないなというか、本番まで大事に温めていきたいなと思いました。
──400年前、そこに本当におねが生きていたと思うと不思議な気分になりますよね。
今までも実在した方を演じる機会はありましたけど、実際にその人が暮らしていた場所に行くと全然気持ちが変わるなと思いました。ここでおねは何を見ていたんだろう。何を思って余生を過ごしていたんだろうって。縁側みたいなところがあって、そこに腰を下ろして、おねに想いを馳せるひとときは、短い時間ではありましたけど、おねを肉付けしていく上で大事な時間だった気がします。
──台本を読んで、まつやおねといった女性の生き方についてどんなことを感じましたか。400年前と今とで全然違う部分と、変わっていないなと思った部分をそれぞれ教えてほしいです。
違うなと思ったのは、おねたちは常に夫が生きて帰ってきますようにと祈っているんですよね。私は未婚ですが、自分の家族が生きて帰ってきますようにと祈ることなんて、ありがたいことに今の日本ではないじゃないですか。あの時代の人たちは、常に死と隣り合わせだった。それは今よりも命が軽く扱われていた時代だったという見方もできるけど、私は死に対する腹の括り方が今の自分にないものだなって感じました。
変わらないなと思ったのは、人の心の機微です。『まつとおね』はいかに悲しみや憎しみの連鎖を断ち切って、前を向いて生きていくかという希望の物語なんですけど、自分の大切なものが奪われてしまうかもしれないという危機を感じたら、それに対して牙を剥くのは本能的には正しい作用だと思っていて。特に今より死と隣り合わせだったあの時代では、お互いが牙を剥き合うことも仕方ない気がしたんですね。
憎しみを向けられたら憎しみで返したいのは人の心理。逆に言うと、優しくされたら優しくしたいと思うのも素直な感情の流れですよね。そういうところは今も昔も変わらないなと思いました。
──もし蓮佛さんが戦国の世に女性として生まれていたら、どんな生き方を選んでいたと思いますか。
早々に結婚して、夫を支えることに全力を尽くすんじゃないかなと思いますね。良くも悪くもその場に適応しがちなので(笑)。こういう世なんだなって思ったら、それに従うというか。大事な人を支える生き方に苦を感じることもなく一生懸命になっている気がします。
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