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メンタルヘルスの意識向上のチャリティに使用すると発表

スケボーレジェンドのトニー・ホークがカート・コバーンの手描きボードを入手

2023.02.20 18:15

YouTube/By Stuart Sevastos - CC BY 2.0

2023.02.20 18:15

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スケートボード業界に最も影響を及ぼしたスケーターのひとりとして知られている伝説的な存在トニー・ホーク。数々のトリックを発明し、自身のビデオゲームシリーズも大ヒット、さらにはトニー・ホーク財団として世界中にスケートパークを作る活動をしている彼が、ニルヴァーナのカート・コバーンが所有していたスケートボードを入手したようだ。

トニー・ホークはInstagramにて、カート・コバーンのスケートボードをオークションで入手したことを明かした。こちらのスケートボードは1985年にカート・コバーンが手描きでペイントしたものであり、アイアン・メイデンのアルバム『Killers』のカバーアートが描かれている。ブランドは〈SIMS Skateboard〉のジェフ・フィリップスモデルであり、1980年代に主流であった“フィッシュ・シェイプ”のボードとなっている。

トニー・ホークはメンタルヘルスに関する意識向上のために、自身のスケートボードデッキブランド〈Birdhouse Skateboards〉とチームアップしてこちらのボードを使用すると発表している。

「これは1985年にカート・コバーンがペイントしたジェフ・フィリップスモデルのボードだ。各々の分野で多大な影響をもたらしたが、どちらも若い年齢で悲しくも亡くなった。
〈Birdhouse Skateboards〉のデレック・リチャードソンの手を借りて、このボードをメンタルヘルスの意識向上のために使い、苦しんでいる人たちの力になりたい。カート・コバーンの誕生日である2月20日にさらに発表する」

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ニルヴァーナ

アーティスト情報

カート・コバーン(vo,g)
デイヴ・グロウル(ds)
クリス・ノヴォゼリック(b)

ロッ ク・シーンにおいては未だ周辺地域でしかなかった米西海岸ワシントン州シアトルのインディ・レーベル、サブ・ポップから89年にシングル「ラヴ・バズ」で デビュー(当時のドラマーはチャド・チャニング)。同年、デビュー・アルバム『ブリーチ』発表。91年にメジャー・レーベル<デヴィッド・ゲフィン・カン パニー(DGC)>に移籍し、セカンド・アルバム『ネヴァーマインド』を発表。当時、ハード・ロックを含む全てのサウンドが、MTVやラジオでのオン・エ アに適する中高音域を強調した軽いサウンド・プロダクションになっていたが、ニルヴァーナとプロデューサーのブッチ・ヴィグはこの『ネヴァーマインド』で そんなセオリーを全く無視。パンキッシュなアティテュードを込めた歌詞と、確信犯的に中低音域を突っ込んだヘヴィ・サウンドを展開。しかもファースト・シ ングルの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」は「hello, hello, hello, how low?(ハロー、気分は最低かい?)」というネガティヴなメッセージを放出する、業界の常識からすれば、<最低の>ファースト・シングルだった。した がってこのアルバムは、アメリカ国内での初回出荷数がわずか25,000枚足らず、しかもプロモーションのためのツアーもなし、という悲惨なスタートを切 ることになった。しかし関係者の予想は見事に裏切られる。「スメルズ〜」はラジオとMTVで爆発的なオン・エアを稼ぎ、全米のロック・キッズがあのフレー ズに合せてヘッド・バンギングした。それに呼応してアルバムが全米で300万枚以上のセールス、アルバム・チャートの1位を獲得。この大ヒットは、アメリ カのミュージック・シーンがそれまでずっと目をそむけてきた<重さ>、<暗さ>という要素を表舞台に引きずり出し、それまでのロックの文体を完全に破壊し てしまった。このアルバムを境にして、瞬く間に彼らのフォロワーが続々とシーンに登場し、世界中に<グランジ>の毒が撒き散らされることになった。 2011年現在、アルバムの全世界でのトータル・セールスは2,600万枚を超えている。

あっという間にカリスマ的な人気を獲得したニルヴァーナだったが、続く92年2月にカートがホールのリーダー、コートニー・ラヴと結婚 したのをきっかけに、バンドは一時期活動麻痺状態に。困り果てたDGCはその年末にサブ・ポップ時代のシングル曲による編集盤『インセスティサイド』を発 表し、急場をしのいだ。

翌93年には、ようやくカートの私生活のごたごたが落ち着き、バンドの活動が正常化。待望のサード・アルバム『イン・ユーテロ』を発表 し、米英で初登場1位を記録。ニルヴァーナの人気は浮動のものとなっていた。しかしこの頃から、インディペンデントでパンキッシュでありたいという欲求 と、自分のコントロールを離れてどんどん巨大化していくバンドと自分のイメージの間に生じたギャップに悩み始めたカートはドラッグに深くおぼれ始め、奇行 が目立ち始める。そして1994年3月頭には、興奮剤の過剰摂取による入院騒ぎを起こし(遺書が残されていた、という説がある)、4月には「精神的な障害 により自殺してしまう可能性が高まっている」という診断を下され、入院を強いられることになった。ところが関係者の心配をよそにカートはそこを逃げ出し、 失踪。4月4日に捜索願が出されたが、自宅のバスルームに閉じこもり、頭をライフルで打ちぬいたカートの無残な遺体が4月8日に発見された。この衝撃の死 によって、バンドは解散を余儀なくされた。

その後デイヴ・グロウルは自身のバンド<フー・ファイターズ>を結成し、現在も活躍中。またクリス・ノヴォゼリックも<スウィート 75>として活動を再開した。コートニー・ラヴは女優として映画『ナチュラル・ボーン・キラーズ』ほかに出演し、大好評を得る一方、ホールとして活動した が、現在はソロ活動中。

(引用)https://www.universal-music.co.jp/nirvana/biography/

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