2022.11.14 21:00
写真:Album/アフロ
2022.11.14 21:00
1988年から2006年まで過ごした空港に戻っていた
彼はそこから18年間(1988年から2006年まで)、同空港で生活をした。それについて綴った自伝本『ターミナルマン』の映画化したのが先述の『ターミナル』だが、実はそれ以前の1993年にジャン・ロシュフォール主演のフランス映画『パリ空港の人々』として映画化されていた。アメリカ版の『ターミナル』は、スタジオのドリーム・ワークスが映画化権料として25万ドル(約3,490万円※2022年11月14日時点)をナセリに支払ったと報道されている。ナセリはずっとベルギーやフランスから難民として迎え入れられるタイミングがあったが、その対応や過程に納得がいかず、何よりイギリスに住みたいという一心で頑なに拒否していた。そんなイギリス大好きな彼が『ターミナル』のポスターを持って「映画の影響でアメリカへの関心が高まった」など発言していたらしい。公開年の2004年にアメリカ入国ビザを取得し、移住まで考えていたが、2006年に体調を崩して空港内の病院に入院した。
2007年に退院してからはフランス政府から滞在許可も降りていたため、空港生活を卒業していた。しかし、空港関係者によると今年の9月中旬に映画化権料などを使い果たした彼は再び、かつての自分の居場所であるシャルル・ド・ゴール空港のターミナルに戻ってきたとのこと。そして土曜日の12日の現地時間昼頃に心臓発作で無くなっているのを発見された。
ハンクスはこれまでも実在する人物をハートフルに演じてきたが、ナセリ本人は映画のビクターほどチャーミングではなく、気難しいタイプだったらしい。しかし、多くの空港関係者から「サー・アルフレッド」の愛称で愛され続けてきた。パリ空港の関係者は「彼はアイコニックで、カリスマ的な存在でした。彼の死を受けて空港には多くの感情が溢れています」と米ワシントン・ポストにコメントしている。
映画で、ハンクス演じるビクターは無事アメリカに入国し、伝説的なミュージシャンのサインを貰うという父との約束を果たした。ラストシーンで、彼は乗り込んだタクシーの運転手から目的地を聞かれ「I am going home(家に帰るんだ)」と答える。現実でもナセリは最期に長年過ごした彼の“家”に戻れたのだと、そう思いたい。