主演作『早乙女カナコの場合は』で懸命に生きる女性像を体現
過去を肯定し、人を愛することで救えた自分。今の橋本愛が紡ぐ「人間って」に続く言葉
2025.03.21 17:00
2025.03.21 17:00
10代の私の命題は人を好きになることでした
──長津田のキャラクターがまたいいですね。男社会に取り込まれたくない自意識と、男としてのプライドでがんじがらめになっていて。
女性の男社会に対する葛藤は今いろんなところで可視化されつつあります。でもこの世の中には、男社会に苦しむ男性たちというのも確かに存在していて。長津田を通して、そこが描かれているところがこの映画の希望だなと思いました。

──指輪を自分で買ってあげたかった、という見栄も男らしさの弊害といいますか。
やっぱり男性が女性にギフトするという社会通念があるからそう思ってしまうわけで。でもカナコだってそれくらいのことはわかっているんですよね。大雑把な言い方をすると、あそこはお互いにマウントをとることで自分の居場所を維持し合っていた気がします。どっちの気持ちわかるからこそ、ちょっと痛いなって(笑)。
──カナコも長津田も肥大化した自意識に煩わされているんですよね。こういう自意識ってどう取り扱ったらいいんでしょう。
今ももちろんありますけど、特に10代の頃の私は自意識ばっかりでした。こうありたい自分、みたいなものはあったんだと思います。だけど、時間と経験が追いついていないから、背伸びせざるを得ない。結局自分を偽ることになっちゃって、それがずっと苦しかったです。
今は時間がようやく追いついてきて、こうありたいという理想像に向かって日々を過ごしている充足感がある。理想的な自分として生きられるようになってきたのかなと感じますね。

──こじらせていた頃の自分を、今の橋本さんはどんなふうに見ていますか。
「大丈夫だよ。頑張ったね」って包み込むような気持ちですね。反省も後悔もたくさんあるけど、過去の自分をすべて私は肯定して生きているから。はたから見ると自意識をこじらせていたと思うんですけど、そうならざるを得なかったというか。どう考えてもそうなるよな、というルートだったんですよね。だから、悔いはないです。「本当、よくやってきたよ」って称えてあげたい(笑)。
──もしタイムリープできても、きっとまた同じルートを辿るだろうと。
余裕でそうなってると思います(笑)。当時から自分のことを魂のレベルが低いな、と思っていて。それを上げるために頑張ってきたので。もしタイムリープで戻れたら、魂のレベルを下げないように頑張ります。
──カナコは10年近くの間、長津田という男性への想いに翻弄されながら過ごしていきます。カナコを通して、改めて人を好きになることについて考えたことはありますか。
カナコを通してというより、私自身の考え方のお話になるんですけど、人を好きになること……特に一人の人をずっと好きでい続けるのって、ものすごく大変で、努力のいることだと思うんです。よくいろんな恋愛を知ったほうが芸の肥やしになるみたいなことを言うじゃないですか。私は逆で、一人の人とずっと向き合った方が絶対エグいよ(笑)、って思います。それはずっと思ってるかも。
それこそ10代の私の命題は、人を好きなることでした。ずっとそれができなくて苦しかったから。人生をかけてやっていこうって、あのときは考えていました。

©︎2015 柚木麻子/祥伝社 ©︎2025「早乙女カナコの場合は」製作委員会
──ちゃんと人を好きになれたのは、いつぐらいのことですか。
22歳ぐらいだったかな。きっかけははっきり覚えているんです。『エンドレス・ポエトリー』という映画を観て。その中に「愛されなかったから愛を知ったんだ」という台詞があって、それがもう目から鱗だったんです。それまでは「私が人を愛せないのは愛されなかったからだ」ってちょっと他責思考だったのが、愛されなかったから、ほしい愛の形がわかるんだなって思えた。だったら、私は自分がほしかったものを人に与えていけばいいんだって発想の転換になりました。
──その台詞、以前、橋本さんがお話しになっているのを読んで知りました。すごくいい言葉だなって感銘を受けて。
本当ですか。うれしいです。愛するほうが先でいいんだなって、そう思えたことで私は救われました。

──今、ちゃんと周りの人を愛せていますか。
私はわりと愛していますね。周りがちゃんとそう思ってくれているかはわからないですけど(笑)。愛情を持って人と関わっているつもりです。
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