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あるバンドとの間で起きた金銭トラブルとは

オジー・オズボーンのフェス「Ozzfest」が開催されなくなった理由が明かされる

2023.11.02 18:10

「Ozzfest 2017」のフライヤー

2023.11.02 18:10

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1970年にブラック・サバスのボーカリストとしてデビューして以来、世界中のハードロック/メタルファンを魅了してきたオジー・オズボーン。今年の2月に健康上の理由でツアー活動引退を発表したが、1996年から開催されていたオジー・オズボーンのメタル/ロックフェス「Ozzfest(オズフェスト)」も2018年を最後に開催されていない。

その理由について、フェスの創設者でもある妻/マネージャーのシャロン・オズボーンがオズボーン家のポッドキャスト「The Osbournes Podcast」の最新回で明かしている。オジーが「そういえばまたOzzfestってやるの?」と質問した際に、彼女は経済的な理由で開催を断念したと答えた。

「あれは変な野獣のような存在だった。出演してくれたバンドたちは全員友達だけど、マネージャーたちが欲深くなった。なぜかみんな私たちが何十億も稼いでると勘違いしてたけど、そんなに稼いでなかった。もちろん利益はあったけど、引退できるような金額ではなかった。エージェントやマネージャーたちはさらにギャラを欲しがっていて、フェスの費用対効果があまり見合ってなかった。だからOzzfestはやらなくなったの」

その返答を聞いたオジーは、「Ozzfest」運営時のシャロンは「頭おかしいぐらい仕事していた」とコメントした。また、シャロンはDanzigが出演したときに起こった金銭トラブルを明かした。

「2回目か3回目にOzzfestをやったとき、ある出演バンドが“ギャラを1万ドル増やさないとステージに立たない”と言い始めて、全てが滞ってしまっていた。だから私は“もちろん1万ドル上げるから!”と説得した。それはDanzigだったんだけど、彼らが出演してから私は“クソ喰らえ、ギャラ上げるわけないだろ”って言った。既に条件も了承済みで、契約も結んでいたし」

「Ozzfest」はオジー・オズボーンがロラパルーザ運営に出演を断られたことがきっかけで生まれたフェスであり、日本でも2013年と2015年に開催された。

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オジー・オズボーン

アーティスト情報

英国バーミンガム出身。1970年ブラック・サバスのヴォーカルとしてアルバム『黒い安息日』でデビュー。瞬く間に人気を獲得し2ndアルバム『パラノイド』で早くも全英1位を獲得するなど、ヘヴィ・メタルの始祖的バンドのフロントマンとしてシーンの第一線で活躍するも’78年暮れにブラック・サバスを脱退。1980年(日本は’81年)の1stアルバム『ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説』、翌年の2ndアルバム『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』でソロとしても早々に成功を収め、“ヘヴィ・メタルの帝王”としての地位を不動のものとする。鳩やコウモリを食いちぎるなどロック史に残る奇行の数々とは裏腹に、楽曲はメロディックかつキャッチーでソングライターとしても高く評価されている。ランディ・ローズ、ザック・ワイルド、ジェイク・E・リー、ガス・Gなど、名ギタリストをこれまで多数輩出してきたことでも有名である。これまでブラック・サバスで9枚、ソロとして11枚のオリジナル・アルバムを発表している。

(引用)https://www.sonymusic.co.jp/artist/OzzyOsbourne/profile/

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