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“ヘアメタルは飽和しすぎた”とコメント

グランジがヘアメタルを衰退させた?スキッド・ロウのギタリストが90年代前半の流行を語る

2023.08.08 16:45

https://goldenrobotrecords.com/alumni/skid-row/

2023.08.08 16:45

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1980年代後半に世界的ブームとなったジャンル、ヘアメタル。モトリー・クルー、ポイズン、ラットのようなバンドに代表される音楽ジャンルだが、一般的には1990年代前半にグランジの台頭によって衰退したとも言われている。そんななか、スキッド・ロウのギタリストであるデイヴ・“スネイク”・セイボが流行の移り変わりについてコメントした。

先日Metal Edgeのインタビューに登場したスネイクは、ヘアメタルが衰退したのはグランジのせいではないと語っている。

「俺はグランジがヘアメタルを衰退させたとは思ってないな。俺らもボン・ジョヴィとツアーをしたと思ったら、その次にパンテラやサウンドガーデンとツアーしていたんだ。だから俺らは違う分野にクロスオーバーできて運が良かったよ。だからヘアメタルがグランジに殺されたとは思ってないし、全てのジャンルは流行ったら、再構築されないといけないんだ。

全ての音楽ジャンルについて言えることだ。一般的に流行ってしばらく経つと、リスナーは聴き飽きる。みんな同じようなバンドがレーベルと契約してデビューしていたし、あまりにも飽和しすぎたんだ。一つのものが多すぎると、他のものを欲する人間の性質だな。そのなかでグランジのバンドたちが新しいサウンドで、今までと違うものを紹介してくれたから、流行ったのもわかるよ」

また、彼は1990年代のグランジ・ムーブメントもヘアメタルと同じ道を辿ったと語った。

「グランジはクールだったよ。俺らはサウンドガーデンとかともツアーしたし、あいつらが好きだった。今でもそうだ。当時、みんなヘアメタルが流行らなくなったことを誰かのせいにしようとしていて、ニルヴァーナとかのグランジバンドに矛先がいっただけだ。でもその衰退は音楽業界だけではなく、人生の自然な流れでもある。あの時代には多くのバンドが“グランジ・ムーブメント”として括られてしまい、1980年代に多くのバンドがヘアメタルとして括られた現象と大差なかった。たくさんのイケてるバンドが、一緒くたにされてしまったんだ」

Skid Row – Youth Gone Wild (Official Music Video)

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スキッド・ロウ

アーティスト情報

デイヴ“スネイク”セイボ(g)
スコッティ・ヒル(g)
エリック・グロンウォール(vo)
ロブ・ハマースミス(ds)
レイチェル・ボラン(b)

1986年、レイチェル・ボラン(b)とデイヴ‟スネイク”セイボ(g)によって米国ニュージャージー州トムズ・リヴァーで結成。翌年に2人は新聞広告を通じてスコッティ・ヒル(g)とロブ・アフューソ(ds)を招き入れ、リード・ヴォーカルにはセバスチャン・バックを迎え入れ、バンドはアメリカ東部のクラブで演奏するなどの活動を開始した。
バンドは、デイヴと10代からの友人であるBON JOVIのジョン・ボン・ジョヴィのサポートを受け、BON JOVIのマネージャーであったドク・マギーがSKID ROWの面倒を見て、1988年にAtlantic Recordsと契約を結んだ。そしてプロデューサーにマイケル・ワグナーを迎え、1989年にデビュー作となる『SKID ROW』をレコーディングしたのだった。『SKID ROW』は、全米トップ10入りしたシングル「18 And Life」と「I Remember You」のヒットも手伝い、最終的には500万枚を超えるセールスを記録。そしてバンドは、BON JOVIのニュージャージーでのツアーでオープニング・アクトを務めた。さらに同年、ドク・マギーが自身の麻薬密売で逮捕された際の刑のひとつである社会奉仕を目的に開催した旧ソ連での「Moscow Music Peace Festival」に、OZZY OSBOURNEやBON JOVIやSCORPIONS、MOTLEY CRUEらと出演。その模様は世界中で衛星放送された。
1990年、バンドは再びマイケル・ワグナーと共に2枚目のアルバム『SLAVE TO THE GRIND』を制作。1991年6月にリリースされ、Billboard 200で初登場1位を獲得。よりヘヴィ・メタルに接近したこのアルバムは、すぐに200万枚のセールスに達した。その後のワールド・ツアーは、GUNS N’ ROSESのサポートや、1992年の英国「Monsters of Rock」への出演など、1年以上にわたった。そして、PANTERA、SOUNDGURDEN、L.A. GUNSらをサポートに迎え、ヘッドライン・ツアーも実施。1992年、カヴァーEP『B-SIDE OURSELVES』を発表。カヴァーEPでありながら、発売から約半年で50万枚を売り上げた。
1994年、バンドはプロデューサーのボブ・ロックと共にスタジオに戻り、3rdアルバム『SUBHUMAN RACE』をレコーディングするも、このレコーディング・セッションは、アルバムの音楽的方向性をめぐるバンドとボブ・ロックとの間でのピリツキに端を発し、セバスチャンとその他のメンバーとの関係に緊張が走る。アルバムは95年に発表されたが、その内容も賛否両論を呼んだ。そして1996年末、KISSの再結成ツアーのオープニング・アクトをセバスチャンは承諾していたが、それを断ったレイチェルと口論になり、セバスチャンが脱退。それに伴い、ドラマーのロブも脱退を表明した。
シンガーとドラマーを失いしばらく活動できなかったSKID ROWであったが、1999年に新しいリード・ヴォーカリストのジョニー・ソリンジャーと、ドラマーは元SAIGON KICKのフィル・ヴァロンを迎えて再始動。その後バンドはKISSのフェアウェル・ツアーでオープニングを務める。2003年夏、ジョニー加入後初めてのスタジオ・アルバムにて通算4作目『THICKSKIN』をリリース。そして2004年、フィルが後任し、デイヴ・ガラ(ds)が加入した。2006年、再びマイケル・ワグナーと再びタッグを組み、5枚目のアルバム『REVOLUTIONS PER MINUTE』発表。2010年、ロブ・ハマースミスがバンドの新しいドラマーとなった。
2013年、Megaforce Recordsと新たに契約を交わし、3部作となるEPの第1作目『UNITED WORLD REBELLION - CHAPTER ONE』を同年リリース。同『CHAPTER TWO』は翌2014年に発表されるも、その後ジョニーが解雇となり、結局このEPシリーズの第3作目が作られることはなかった。2015年にジョニーの後任として元TNTのトニー・ハーネルが加入。過去曲「18 And Life」をリレコーディングし、無料でデジタル配布。だが、2015年の末にトニーは脱退。2017年、サポート・シンガーとしてSKID ROWのツアーに帯同していた元DRAGONFORCEのZPサート(vo)が正式加入。なお、2021年にジョニー・ソリンジャーが肝不全で死去した。
2022年3月23日、バンドはZPサートと袂を分かち、元H.E.A.Tのエリック・グロンウォール(vo)を迎えた。エリックを含む新編成は、ラスヴェガスで9夜にわたって行われたSCORPIONSのレジデンシー公演のサポートでお披露目となった。そして同年5月、バンドはニュー・シングル「The Gang's All Here」の公開とともに、通算6作目となる『THE GANG’S ALL HERE』を10月にリリースすることを発表した。

(引用)https://www.jvcmusic.co.jp/-/Profile/A018377.html

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