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「声を生成するのはどうかと思う」と語る

スヌープ・ドッグがAI技術で2Pacとノトーリアス・B.I.Gをコラボさせる案に否定的なコメント

2023.04.21 17:10

スヌープ・ドッグ(写真:REX/アフロ)

2023.04.21 17:10

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オアシスの復活を望んだファンがAI技術を使用しリアム・ギャラガーの声を生成したり、AIが歌ったドレイクとザ・ウィークエンドの偽曲がSpotifyで配信され〈ユニバーサル・ミュージック〉が楽曲を取り下げたり、毎日のように話題になるAI技術。2Pacと元レーベルメイトであり、ノトーリアス・B.I.Gと友人でもあったスヌープ・ドッグが、AI技術で2人の声を再現することに対してコメントをしている。

元は友人関係だったが、仲違いした状態で亡くなった2Pacとノトーリアス・B.I.G。先日、「AI技術を使用して2Pacとノトーリアス・B.I.Gのコラボ曲を作るのはどうか?」とゴシップ誌Baller Alertに訊かれた際に、スヌープ・ドッグは以下のように答えている。

「正直AIを使用してやるのはどうかと思うよ。だってあれはコンピューターによって作られた声だろ?昔彼らが録ったトラックを発掘して、それを組み合わせるほうが良いと思うよ」

ドクター・ドレーとスヌープ・ドッグの「Coachella 2012」セットでは2Pacのホログラムが登場しているが、そちらで披露された「2 of Amerikaz Most Wanted」は2Pacが1996年にHouse of Bluesで行った公演の映像から再現したものだった。

アーティストの声をAI技術を使用して再現することには賛否両論の意見が集まっているが、オアシスのリアム・ギャラガーは自身の声が再現された架空のアルバム『Aisis』について、「世に出ている他の音楽よりも良い」とコメントしていた。

「Coachella 2012」のステージに2Pacのホログラムが登場したときの映像は以下から見ることができる。

Tupac Hologram Snoop Dogg and Dr. Dre Perform Coachella Live 2012

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スヌープ・ドッグ

アーティスト情報

1972年LAはロング・ビーチ生まれ。ギャングの一員として荒涼とした幼少期を過ごしてきたスヌープ・ドッグ(当時スヌープ・ドギー・ドッグ)が、ラッ プに専念しようと91年にネイト・ドッグ、ウォーレン・Gと共にクリーク213を結成。西海岸の首領(ドン)=ドクター・ドレーに見出され92年「ディープ・カヴァー」でレコード・デビューを果たす。その後、ドクター・ドレーの歴史的ソロ・アルバム『クロニック』に大々的にフィーチャーされ、大きな注目を 集める。全編ドクター・ドレーの制作のもと、彼のインタースコープ傘下のレーベル=デス・ロウから満を持してリリースされたデビュー・アルバム『ドギー・ スタイル』(’93)は西海岸のギャングの生き様をリアルに描き、強烈な世界観を提示、驚異的な大ヒットを記録。瞬く間にアメリカを代表するラッパーとな る。その後、名前をスヌープ・ドギー・ドッグからスヌープ・ドッグに変更するもレーベル内の紛争に巻き込まれEMI傘下のノー・リミット・レーベルに移籍、多数のプロデューサー/ラッパーたちとの交流を深めながらコンスタントにアルバムをリリースし、常にシーンのトップ街道を突き進む。特にファレル・ ウィリアムスとのコラボレーション・アルバム『Paid tha Cost to Be da Bo$$』発表後の突き抜け具合は、目を見張るモノがある。再びインタースコープ傘下のゲフィン・レーベルに移籍後も、『R&G(リズム&ギャングス タ):ザ・マスターピース』と06年末の『ダ・ブルー・カーペット・トリートメント』と壮大なスケールのアルバムを立て続けに発表。唯一無二のヴォイスと フロウのラップ・スタイルはすでに孤高の粋にすら入っている。また音楽活動での後進の育成はもちろん、自身のバスケット・ボール・チームを通じた地域社会 の活性化、ハリウッド界への進出なども精力的に行い、その発言、行動には大きな注目が常に集まっている。

(引用)https://www.universal-music.co.jp/snoop-dogg/biography/

1996年9月魔の凶弾に倒れ、25歳の若さでこの世を去ったトゥパック。
本名、トゥパック・アマル・シャクール。
トリッキーかつユニークなヒップホップ・グループ=デジタル・アンダーグランドの構成員としてヒップホップ界潜入後、91年ソロ・デビュー。以来『ミー・アゲインスト・ザ・ワールド』(95年)、『オール・アイズ・オン・ミー』(96年)といった歴史的ヒップホップの名盤/ミリオンセラーを連発。映画『ジュース』(92年)をはじめ俳優としても活躍、また暴行、レイプ、 投獄というセンセーショナルなゴシップを放ち続け絶大な人気を確立。当時米ヒップホップ界に起こっていた西海岸vs東海岸抗争の矢面に立った彼はその抗争の象徴的な西海岸の犠牲者として死を迎える(東海岸の犠牲者はザ・ノトーリアス・B.I.G.)。死の直後も、獄中で目覚めた『君主論』(政治思想家マキャヴェリ著)に基づくマキャヴェリ名義のアルバムが発表され全米初登場1位、98年暮れに未発表アルバム、99年2月に未発表曲を含むベスト・アルバムがリリース、いずれもが大ヒットを記録。同年末には晩年の”ホーミー”=アウトロウズとの連名で『スティル・アイ・ライズ』をリリース。エミネム、スヌープ・ドッグ、ドクター・ドレーが惜しみないリスペクトをし続けるなど、いまだその人気は衰えを知らない。

(引用)https://www.universal-music.co.jp/2pac/biography/

ノトーリアス・B.I.G.

アーティスト情報

本名:クリストファー・ウォレス、1972年ニューヨーク・ブルックリン生まれ。10代からラップを始めた彼は、4曲入りデモ・テープがヒップホップ誌「THE SOURCE」の「UNSIGNED HYPE」コーナーに紹介されると、ショーン・パフィ・コムズ(現:P.ディディ)の目に止まり、彼が設立した新レーベル=バッド・ボーイと契約。メアリー・J・ブライジの「リアル・ラヴ」のリミックスにゲスト参加するなど注目を集め、94年にアルバム『レディ・トゥ・ダイ』で華々しくデビュー。「ジューシー」「ビッグ・ポッパ」などの大ヒットを連発し一躍スターダムに。その後、西海岸を代表する人気ラッパー、2パックとの確執が"東西抗争"としてマスコミを騒がせると、最終的に2パックが何者かの銃撃によって死亡するというヒップホップ界を震撼させる事件に発展。そして2パックの事件からわずか半年後、2ndアルバム『ライフ・アフター・デス』リリース直前の97年3月に自らもまたロサンゼルスで凶弾に倒れる。享年24歳であった。死の直後にリリースされた2枚組アルバムは初の全米チャート1位を記録し、「ヒプノタイズ」「モー・マネー、モー・プロブレムス」2曲の全米NO.1ヒットを生んだ。2年後の99年には未発表トラックを中心にした3rdアルバム『ボーン・アゲイン』をリリース、こちらも全米NO.1を獲得。その後、21世紀に入りワーナーグループと新たに契約を結んだバッド・ボーイから、2005年には超豪華なゲストが集結した"最後の新作"『狂宴~ザ・ファイナル・チャプター[最終章]』が、10周忌となる2007年3月には初のベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ~絶世の詩(うた)』がリリースされるなど、いまだに大きな注目を集めているビギー。ストリート・ライフをリアルに反映したハードな内容のリリック、巨体から繰り出さす重厚なフロウをキャッチーなトラックに乗せるという絶妙なバランスで一世を風靡した彼は、米MTVが2006年に発表した“ヒップホップ史上最も偉大なMCランキング”でジェイ・Z、2パックに次ぐ堂々の3位にランキングされるなど、生前に残したアルバムはわずか1枚ながら、死後10年以上を経た今も絶大な影響力を放つヒップホップ史に残る不世出のラッパーである。

(引用)https://wmg.jp/notorious/profile/

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