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ヒップホップで社会を生き抜く! 第16回

故ボビー・コールドウェルがヒップホップに与えた影響 “ミスターAOR”をサンプリングしたラップ曲を紹介

2023.04.16 13:30

ボビー・コールドウェル「Cat In The Hat」

2023.04.16 13:30

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約1ヵ月前の3月14日に「What You Won’t Do For Love」の大ヒットで知られているボビー・コールドウェルが亡くなった。日本では“ミスター・AOR”としても知られている彼は6年ほど闘病生活を送っていたと、妻メアリー・コールドウェルがTwitterで発表した。

マイアミで育ったボビー・コールドウェルは、不動産屋であった母と友人を通して、ボブ・マーリーと友人になり、若い頃からレゲエ、ハイチ音楽、ラテン・ポップ、そしてR&Bなどにも影響された。ロックンロールのパイオニアであるリトル・リチャードのリズムギタリストとして音楽キャリアをスタートさせたが、ソロキャリアを開花させるために脱退し、その後数年間レコード契約を求めロサンゼルスで生活をする。しかし契約してくれるレーベルは見つかることなく、夢破れた形でマイアミに帰郷。その後、母に勧められ〈TK Records〉にデモ音源を持ち込み、レコード契約が実現した。

それからボビー・コールドウェルは〈TK Records〉から1stシングルにして最大のヒット「What You Won’t Do For Love」を1979年にリリースしたが、白人シンガーのディスコファンクバンド、KC and the Sunshine Bandをブレイクさせた〈TK Records〉は、黒人層からサポートされることの重要性を理解していた。そのため、ボビー・コールドウェルはアルバムアートでも顔を出さず、レーベルによってしばらくアイデンティティが隠されていたのだ。そのため、黒人層が聴くラジオ番組でも頻繁にエアプレイされ、今でもYouTubeに「ボビー・コールドウェルって白人だったの!?」という旨のリアクション動画をアップしている人も多く見受けられる。

多くのブラック系のラジオでフィーチャーされただけではなく、多数のヒップホップ曲でサンプリングされ、ヒップホップ史にも名前を残したボビー・コールドウェル。彼の名曲たちをサンプリングしたヒップホップ曲を紹介したい。
 

コモン「The Light」

ネオ・ソウルの先駆けにもなった今は亡き伝説のプロデューサー、J・ディラによってプロデュースされたコモンの代表曲「The Light」。「The Light」はボビー・コールドウェルの2ndアルバム『Cat in the Hat』に収録されている「Open Your Eyes」をサンプリングしている。コモンもボビー・コールドウェルをサンプリングするまでボビー・コールドウェルが白人ということを知らず、「ソウルを込めるのに肌の色は関係ないと気がついた」と語っていた。また、ボビー・コールドウェルは「The Light」でサンプリングされたことを喜んでおり、「リメイクしてくれるぐらい自分の曲が人々に愛されているのはとても嬉しいし、オリジナルの売上も上がった」とコメントしていた。

コモンは「The Light」でピュアな愛についてラップしており、当時恋仲にあったエリカ・バドゥについて書かれたとも述べている。「この曲は本当に心から溢れ出す想いを、真っ直ぐに書いた。自分のなかの真実と想いを心から伝えただけだ」とコメントしている。
 

2Pac「Do For Love」

2Pacが亡くなった後にリリースされた『R U Still Down? (Remember Me)』の2ndシングルとしてリリースされた「Do For Love」。本楽曲では、ボビー・コールドウェルの「What You Won’t Do For Love」をサンプリングしており、サビではボビー・コールドウェルのメロディを聴くことができる。プロデュースはアッシャーやルーサー・ヴァンドロスの楽曲も手掛けたSoulshock and Karlin。こちらの楽曲で2Pacは愛に囚われて、自分に害のある決断をしてしまう経験についてラップしている。
 

ノトーリアス・B.I.G「Sky’s the Limit」

ボビー・コールドウェルの「My Flame」をサンプリングした「Sky’s the Limit」。ノトーリアス・B.I.Gの死後16日後にリリースされた『Life After Death』に収録されており、「Going Back to Cali」と「Kick In the Door」と共にA面シングルとして1997年にリリースされた。Clark Kentによってプロデュースされたビートだが、LL・クール・Jとジェイ・Zが興味ないと断った末ノトーリアス・B.I.Gが気に入り、ビートを使用したと明かされている。
 

Kool G Rap「Blowin’ Up in the World」

ニューヨーク州クイーンズ出身のベテランラッパー、Kool G Rapの「Blowin’ Up in the World」。Kool G Rapはナズ、ノトーリアス・B.I.G、ジェイ・Zなどにも大きな影響を与えた凄腕ラッパーであり、最も偉大なラッパーの一人として名前が挙がることも多い。Buckwildがプロデュースした「Blowin’ Up in the World」のビートは、「What You Won’t Do For Love」をサンプリングしており、Kool G Rapのラップスキルが伝わる作品でもある。
 

ケンドリック・ラマー「R.O.T.C. (Interlude)」

ケンドリック・ラマーの4thミックステープ『Overly Dedicated』に収録されている「R.O.T.C. (Interlude)」では、コモンの「The Light」と同じくボビー・コールドウェルの「Open Your Eyes」がサンプリングされている。ラッパーとして成功する前に制作された「R.O.T.C. (Interlude)」では、ケンドリック・ラマーは音楽活動を続けるか、ストリートに戻ってドラッグなどを売って生活するかの2択について悩んでいる。音楽活動を続けてくれたケンドリック・ラマーに感謝をしたい。
 

MC Breed「Gotta Get Mine」

2Pacをフィーチャリングした西海岸のベテランMC Breedの曲「Gotta Get Mine」。ドクター・ドレーやジョージ・クリントンとも制作をしていたColin Wolfeと、西海岸レジェンドでありドクター・ドレーの義理の弟でもあるウォーレン・Gによってプロデュースされたトラックは「What You Won’t Do For Love」のベースラインをサンプリングしている。

その他にもボビー・コールドウェルの楽曲はLittle Brother、リル・ナズ・X、DJ Jazzy Jeff、エラ・メイなどによってサンプリングされており、まさにヒップホップ史にとって欠かせない存在であった。チャンス・ザ・ラッパーは、ボビー・コールドウェルから「私のことを考えてくれてありがとう。サンプリングしてくれて誇らしいよ」という旨のDMを受け取ったようで、このように若い世代の新しい文化を認め、愛したからこそヒップホップ史にも残るアーティストになったと言えるだろう。

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ボビー・コールドウェル

アーティスト情報

ボズ・スキャッグズと並んで“ミスターAOR”との愛称を持つボビー・コールドウェル。主に影響を受けたアーティストは、フランク・シナトラ、スティーヴィー・ワンダー、ドナルド・フェイゲン(スティーリー・ダン)とのこと。1951年8月15日ニューヨーク・マンハッタンに生まれ、幼少の頃父親からプレゼントされたギターがきっかけで音楽に目覚め、シナトラ、カウント・ベイシーに始まり、ビートルズなどの数々のポップソングに傾倒した後、22歳の 時にリトル・リチャードのバンドに参加し、1976年「ザ・ハウス・イズ・ロッキン」でデビュー。これがスマッシュ・ヒットとなりアメリカ、カナダ、イギリス、南米等のディスコ、R&B、POPチャートを賑わして上位にランク・インしたものの、ロサンゼルスでの本格的なデビューには繋がらず、本拠地マイアミに戻り暫くは父親の事業を手伝う日を送る。その後母親の勧めでTKレコードへデモ・テープを持ち込んで認められ晴れて契約。そして78年に発表されたデビュー・アルバム『イヴニング・スキャンダル』の時点で、すでにメロディ・メイカーとしての才能を開花。特に、白人でありながら黒人アーティストのごときエモー ショナル・ヴォーカルを繰り出した、「風のシルエット」「スペシャル・トゥ・ミー」「カム・トゥ・ミー」といったナンバーは、高品質なAORとして名高い。ボビーの姿は、当初このファースト・アルバムのシルエットのイラストと、雑誌で見かける、ハットを深くかぶりサングラスをした写真しかなく、黒人なのだろうかとも思わせるソウルフルな声のため、まったく謎の人物だった。しかし、80年に発表されたセカンド・アルバム『ロマンティック・キャット』ののジャケットで、すべてが明らかになった。 本国アメリカでは、このセカンド・アルバムがリリースされた直後にレコード会社(T.K.)が倒産。新人にして2年という長いインターバルを開けた末、満足なプロモーションもできないまま世に出てしまった。82年にシングル「ジャマイカ」を含むサード・アルバム「キャリー・オン」を発表。翌年シングル「シェリー」を含む4枚目『オーガスト・ムーン』発表。このアルバム発表後、表舞台から遠ざかりコンポーザーとして活動。86年にはPETER CETERA & AMY GRANTに提供した<Next Time I Fall>が全米チャート1位に輝き名実ともにコンポーザーとしての地位を確立。87年には市川昆監督作品『竹取物語』(サントラ)へ「ステイ・ウィズ・ミー」を提供。88年、ピーター・セテラ&エイミー・グラントに提供した「ネクスト・タイム・アイ・フォール」の実績が大きく評価され、コンポーザーとしてのオファーが急増。代表作としてはボズ・スキャッグズのカム・バック作『ジ・アザー・ローズ』へ提供した「ハート・オブ・マイン」であろう。そして89年長い沈黙を破っていよいよフロントラインへ動き出す。パーラメントのCF曲として<カム・トゥ・ミー>が起用されリバイバル・ヒット。次いで<ステイ・ウィズ・ミー>も同CFに起用される。そしてオリジナル・アルバム『ハート・オブ・マイン』を発表。90年約1年のインターバルを置いて6作目『ソリッド・グラウンド』発表。ジャジーな新境地を開く。そして2曲の新曲を含む『グレイテスト・ヒッツ』を日本のみで発売。93年には通算7枚目のアルバム『ホエア・イズ・ラヴ』を発表。95年『ソウル・サヴァイヴァー』発売。96年には噂のあったジャズ・テイストのアルバム『ブルー・コンディション』を発表。この年『ビバリーヒルズ高校白書』に「風のシルエット」が使われもした。98年アメリカで初のBEST盤『タイムライン』を発売。日本では7曲差し替えジャケも国内仕様に変更しリリース。99年『カム・レイン・オア・カム・シャイン』をリリース発売。2001年「セイ・マイ・ネーム」を高橋真梨子に提供し、日本盤ベスト『エヴリ・タイム・セイ・マイ・ネーム・ソングマスター』をリリース。2002年竹内まりやのトリビュート企画に参加し、「カムフラージュ」をカバー。2003年には小田和正トリビュートに参加、「君にメリー・クリスマス・メリー・クリスマス」をカバー。2004年最新ベスト盤となる『ボビー・コールドウェル・ザ・ベスト』を発売し、ファースト及びセカンドも紙ジャケットにて復刻。2005年、6年ぶりの新譜となる『パーフェクト・アイランド・ナイツ』をリリース。2010年には自身のジャズ・スタンダード・ナンバーを集めたベスト盤『コンサメイト・オブ・ボビー・コールドウェル』をリリース。そして2012年、約7年ぶりとなるオリジナル・アルバム「ハウス・オブ・カーズ」をリリース。

(引用)https://www.jvcmusic.co.jp/-/Profile/A017890.html

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