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ドクター・ドレーと50セントから学んだアーティストビジネスとは?元グループメンバーが明かす

2023.03.08 19:50

50セント&ドクター・ドレー

2023.03.08 19:50

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ヒップホップ最重要プロデューサーとしてだけではなく、ビジネスマンとしても大きな成功を収めたドクター・ドレー。レーベル〈Aftermath Entertainment〉の代表としてエミネムや50セントなどのアーティストを輩出し、2008年に立ち上げたオーディオ機器ブランドBeats Electronicsは、2014年にAppleによって30億ドルで買収された。50セントが率いたG-Unitの元メンバーのトニー・イェイヨが、ドクター・ドレーや50 Centから学んだことを語っている。

人気YouTube番組VladTVのインタビューに出演したトニー・イェイヨは、ドクター・ドレーと50セントから学んだビジネススキルについて、以下のように答えている。

「重要なのは音楽の外にある機会だ。俺は50セントのVitamin Waterへの投資や、ドクター・ドレーのビジネスを見て、音楽外にあるビジネスが一番金になると学んだ。例えばジェイ・Zのシャンパンブランド“Ace of Spades”や、Diddyのウォッカブランド“Ciroc”もそうだ。最も大きなアーティストたちは、音楽の外のビジネスで財産の大半を稼いでいる」

50セントは2004年にGlaceau社に投資するだけではなく、パートナーシップを組み飲料ブランド「Vitamin Water」を発売した。その3年後、Glaceau社はコカ・コーラに買収され、50セントは1億ドルを手にしたと報じられている。この事例は、その後のヒップホップアーティストがブランドビジネスを展開する上で大きな影響を与えたと言われている。現在50セントはテレビドラマのプロデューサーとしても活躍している。

近年、トラヴィス・スコットがナイキ、人気ゲーム『Fortnite』、マクドナルド、ソニーなどのブランドとパートナーシップを組んでおり、自身のハードセルツァーブランド「CACTI」も発売したことにより、2020年に最も稼いだアーティストとなった。

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50セント(50 Cent 読み:フィフティー・セント、本名:Curtis James Jackson III(カーティス・ジェームズ・ジャクソン3世)、1975年7月6日 - )は、アメリカ合衆国のヒップホップMC、俳優、企業家、エグゼクティブプロデューサー、プロボクシングプロモーターである。

ソロMCとしても活動するが、Gユニットの一員でもある。ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ区ジャマイカ地区出身。左利き。

50セントというMCネームは、1980年代にニューヨークのブルックリン界隈で30人あまりを殺害し、たった50セントでさえも奪ったとされる実在のギャング、ケルビン“50セント”マーティン(Kelvin "50 Cent" Martin)に由来する。

これまでに、グラミー賞を1回受賞している。

(引用)https://ja.wikipedia.org/wiki/50%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88

ドクター・ドレー

アーティスト情報

本名アンドレ・ヤング。カリフォルニア州コンプトン生まれ。

10代でDJを始め、ワールド・クラス・レッキン・クルーというグループでミュージック・ビジネスのキャリアをスタートする。アイス・キューブらとともにN.W.A.を結成。1987年のデビュー・アルバム『ストレイト・アウタ・コンプトン』をはじめミリオン・セラーを連発、いわゆるギャングスタ・ラップを確立した。この頃からプロデューサーとしても頭角を表わし、92年N.W.A.を脱退、渦中の人シュグ・ナイトとともにデス・ロウを設立。ソロ・アルバム『ザ・クロニック』を発表、大ヒットを記録。キーボードを多用しメロディックでゆるいグルーヴの彼のサウンドは”G-ファンク”と呼ばれ多くのフォロワーを生んだ。その後プロデューサーとしてスヌープ・ドギー・ドッグ(現スヌープ・ドッグ)を世に送り出した「事件」により彼の地位は確固たるモノとなる。数々のサントラ、故2パックの代表曲「カリフォルニア・ラヴ」、ナスをはじめミリオン・ヒットを続出の中、デス・ロウ=シュグ・ナイトとの確執後、離脱。96年彼自身のレーベル「アフターマス」を立ち上げ、お披露目的コンピレーション・アルバム『ジ・アフターマス』をリリース。99年2月エミネムの衝撃的なデビュー・アルバム『スリム・シェイディ』を制作。強力かつ緻密に計算されたドレーのコンセプトとともに見事ビルボード誌アルバム・チャート初登場2位を飾る。そしてトリプル・プラチナムに輝いた『クロニック』から7年もの歳月を経て、完成させたアルバム『2001』をリリース。当時ドレーは、「傲慢に言っているつもりじゃないが、ラップ・ミュージックの1ファンとしてヒップホップを聴いていて、世界を動かす様なものはなかったな、というのが本音だよ。だからこそ、俺が創ってやろうと思ったのさ」とコメントしている。事実このアルバム『2001』はヒップホップの「深さ」と「可能性」が無限大にあることを証明、”ヒップホップの曼荼羅”としてひとつの頂点を具体化してしまったともいわれたホド。そのサラリと傑作を作って見せた『2001』と平行し不本意ながらも距離を置いていたスヌープ・ドッグとも『ドギースタイル』(93)第2章的アルバム『ラスト・ミール』(00)で感動の完全復縁を果たした。そして00年5月矢継ぎ早にリリースされ、”エミネム現象”を巻き起こしたエミネムのセカンド『ザ・マーシャル・マザーズLP』でもプロデューサーとして彼を大々的にバック・アップ、続く7月からはスヌープ、アイス・キューブ、エミネム、ネイト・ドッグ、ウォーレンG、クラプトらとともに全米を廻ったヒップホップ一大絵巻『アップ・イン・スモーク・ツアー』を大成功させる。その後もイグジビットのアルバムをはじめイヴ、メアリー・J.ブライジ、D12、ビラル、ノー・ダウトらの制作、他にもサントラへの曲の提供と休む間もなくワーカホリックぶりをみせるなか、スヌープと自身主演という快演が目に浮かぶコメディー青春映画『ザ・ウォッシュ』のサントラを完成させた(ちなみにデンゼル・ワシントン主演全米興行1位を記録した映画『トレイニング・デイ』にもこのドレー&スヌープが揃って出演している)。今回も形としてはあくまでもサントラという表情を持ってはいるものの、『2001』同様、ドレーの人脈が挙って参加したドレーの”ニュー・アルバム”といって何の問題もないアルバム。ドレーがかつて言った言葉は今作にもやはり生きている。「俺は西海岸出身だが、全世界の人たちの心に訴えるような音楽を作るようにしている。昔からずっと、世界中へ向けた音楽を作りたかったんだ。」

(引用)https://www.universal-music.co.jp/dr-dre/biography/

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