1992年の12月15日にリリースされたドクター・ドレーのソロデビューアルバム『The Chronic』。ヒップホップ史において最もインパクトがあったアルバムの一つであり、西海岸のGファンクサウンドを定義づけた作品だが、彼は同作の制作中に音楽を辞めることを考えていたようだ。
LL・クール・Jの本「The Streets Win: 50 Years of Hip Hop Greatness」に寄稿をしたドクター・ドレーは、イージー・Eがリーダーを務めていたN.W.A.と〈Ruthless Records〉から脱退した後に、スランプに陥っていたことを明かした。
「1992年に俺は新しい家を購入した。イージー・Eと(マネージャーの)ジェリー・ヘラーは俺を飢えさせようとしていて、俺が得るべき金を支払うことを拒否した。俺はスタジオに向かうために高速を運転していたが、音楽を辞めることを考えていた。俺はそのとき既に1ヵ月以上“The Chronic”の制作をしていたが、前に作ったものと同じようなサウンドか、それほど良くないもののどちらかしか出てこなかった。自分の能力を疑い、音楽をやるべきかどうかを考え直してしまった。しかしそれらの疑念を脇に置いて、粘り強く頑張った。
その1週間後、俺はこれまでに作った中で最高の音楽を作った。それは俺が成功する上で重要な瞬間だった。自分は必要なものを全て持っていて、忍耐強く努力し続けば成功するという確信にもなった。もしあのときに、“音楽を辞めよう”という言葉に耳を傾けていたら、俺の人生は今と全く違うものになっていただろう」
ヒップホップ史を変えた名盤『The Chronic』の制作中に自信をなくし、音楽を辞めることも考えたドクター・ドレー。彼はそのときに自分が身を置く環境について考え始めたようで、「自分を前に進めてくれる人たちと関わることが重要だと学んだ。何も学べない人たちと一緒にいたくないと思うようになった」と語っている。