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RUN DMCやNasらが8時間にわたり出演

ヒップホップ生誕50周年ライブの全編映像が公開 豪華アーティストが集結

2023.08.14 18:10

HIP HOP 50 LIVE AT YANKEE STADIUM

2023.08.14 18:10

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音楽だけではなくファッションやスポーツなど、世界中のカルチャーに大きな影響を与えたヒップホップが今年の8月11日に生誕50周年を迎えた。11日の夜にはニューヨークのヤンキースタジアムで50周年を祝うイベント「Hip Hop 50 Live」が開催され、8時間にも及ぶその映像がYouTubeにフルで公開されている。

「Hip Hop 50 Live」はDJクール・ハーク、シュガーヒル・ギャング、RUN DMC、カーティス・ブロウなどのパイオニア以外にも、Nas、リル・ウェイン、スヌープ・ドッグ、アイス・キューブ、ウィズ・カリファ、コモン、ゴーストフェイス・キラーなどの豪華ラッパーたちも登場。全体的にオールドスクールからの出演が多かったものの、新世代からはヤンキースタジアムから数ブロック離れた場所で育ったA Boogie Wit da Hoodieが出演した。

凄腕MCのNasのセットにはローリン・ヒル、クール・G・ラップ、DJクール・ハークが参加し、ローリン・ヒルは「Ready or Not」「Doo Wop (That Thing)」「Fu-Gee-La」などのヒットをメドレーで披露。イベントのトリにはRUN DMCがキャリア最後となるパフォーマンスで会場を盛り上げた。

1973年にDJクール・ハークと妹のシンディー・キャンベルがニューヨークのブロンクス地区で妹と共にブロックパーティーを開催したことがきっかけで生まれたヒップホップ文化。DJクール・ハークは当時、2枚のレコードを同時に使い、楽曲のブレイクの部分を繋ぎ続けるというDJスタイルを確立し、その手法が様々な文化へと発展した。

https://youtu.be/RgGyYGPTXCg
HIP HOP 50 LIVE AT YANKEE STADIUM

ナズ(Nas、本名:Nasir bin Olu Dara Jones、1973年9月14日 - )は、アメリカ合衆国のヒップホップMC・作詞家・音楽プロデューサー・俳優である。文学性の高い深みのあるリリックは高く評価されている。題材は、麻薬の売買やギャングスタの生活を題材としたギャングスタ・ラップから、ゲットーの現実や、そこから抜け出そうというポジティブなメッセージ、世界情勢などを題材にしたコンシャス・ラップまで幅広い。デビュー・アルバム『イルマティック』は極めて高い評価を得ており、クラシックと称されている。

(引用)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%BA

スヌープ・ドッグ

アーティスト情報

1972年LAはロング・ビーチ生まれ。ギャングの一員として荒涼とした幼少期を過ごしてきたスヌープ・ドッグ(当時スヌープ・ドギー・ドッグ)が、ラッ プに専念しようと91年にネイト・ドッグ、ウォーレン・Gと共にクリーク213を結成。西海岸の首領(ドン)=ドクター・ドレーに見出され92年「ディープ・カヴァー」でレコード・デビューを果たす。その後、ドクター・ドレーの歴史的ソロ・アルバム『クロニック』に大々的にフィーチャーされ、大きな注目を 集める。全編ドクター・ドレーの制作のもと、彼のインタースコープ傘下のレーベル=デス・ロウから満を持してリリースされたデビュー・アルバム『ドギー・ スタイル』(’93)は西海岸のギャングの生き様をリアルに描き、強烈な世界観を提示、驚異的な大ヒットを記録。瞬く間にアメリカを代表するラッパーとな る。その後、名前をスヌープ・ドギー・ドッグからスヌープ・ドッグに変更するもレーベル内の紛争に巻き込まれEMI傘下のノー・リミット・レーベルに移籍、多数のプロデューサー/ラッパーたちとの交流を深めながらコンスタントにアルバムをリリースし、常にシーンのトップ街道を突き進む。特にファレル・ ウィリアムスとのコラボレーション・アルバム『Paid tha Cost to Be da Bo$$』発表後の突き抜け具合は、目を見張るモノがある。再びインタースコープ傘下のゲフィン・レーベルに移籍後も、『R&G(リズム&ギャングス タ):ザ・マスターピース』と06年末の『ダ・ブルー・カーペット・トリートメント』と壮大なスケールのアルバムを立て続けに発表。唯一無二のヴォイスと フロウのラップ・スタイルはすでに孤高の粋にすら入っている。また音楽活動での後進の育成はもちろん、自身のバスケット・ボール・チームを通じた地域社会 の活性化、ハリウッド界への進出なども精力的に行い、その発言、行動には大きな注目が常に集まっている。

(引用)https://www.universal-music.co.jp/snoop-dogg/biography/

アイス・キューブ

アーティスト情報

“ギャングスター・ラップ”を定義付けた最重要人物アイス・キューブ始動! 今までにソロ・アルバム6枚にベスト・アルバム、本人出演の映画のサントラ等々合わせると通算セールス1000万枚を軽く突破する。80年代の伝説的HIP HOPユニットN.W.A.のブレインとしても名を派した。ホームタウンのロサンゼルス(西海岸)だけでなく全米で知らないキッズがいないくらいのラッパー。90年代より俳優としても一世風靡。彼が新たに設立した「WRENCH MOB RECORDS」より実に6年ぶりとなるソロ・アルバム『ラフ・ナウ、クライ・レイター』が完成!申し分ないクオリティーであのアイス・キューブが返ってきた!

(引用)https://www.universal-music.co.jp/ice-cube/biography/

NY・クイーンズ出身。DJのジャム・マスター・ジェイ(ジェイソン・ミゼル)、MCのRun(ジョセフ・シモンズ)とD.M.C.(ダリル・マクダニエルズ)の3人組。ヒップホップ黎明期の80年代初頭より「オレンジ・クラッシュ」という名で活動を開始し、1982年にRun-D.M.C.に改名。1983年にProfile Recordsより「イッツ・ライク・ザット」でデビュー。翌年のファースト・アルバム『Run-D.M.C. 』は、ヒップホップ・アルバムとして初のゴールド・ディスクを獲得。1985年には出演した映画『クラッシュ・グルーヴ』も公開された(日本未公開)。1986年、エアロスミスのヒット曲をそのまま使った「ウォーク・ディス・ウェイ」は全米4位となる大ヒットを記録。サンプリングではなく、エアロスミスのスティーヴン・タイラーとジョー・ペリー本人がレコーディングに参加、ビデオにも出演して話題を呼んだ。当時彼らが好んで着用していたアディダスのスニーカーやカンゴールのハットはファッションとしても一世を風靡した。その後もリリースを重ねていたが、2002年にジャム・マスター・ジェイが射殺されるという衝撃的な最期を遂げ、グループとしての活動は休止した。
2009年には「ロックの殿堂入り」を果たし、2016年にはグラミー賞ライフタイム・アチーヴメント(功労賞)を受賞している。(2016年1月)

https://www.sonymusic.co.jp/artist/RunDMC/profile/

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