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参加者に来てほしくないと思われていると嘆く

スヌープ・ドッグがジェイ・Zのパーティーに招待されない理由を明かす

2023.07.20 18:45

スヌープ・ドッグ(写真:REX/アフロ)/ (Renell Medrano/The New York Times)

2023.07.20 18:45

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ラッパーとしてだけではなく、ビジネスマンやタレントとしても世界的人気を誇るスヌープ・ドッグ。交友関係も広く様々なイベントに参加している彼が、ジェイ・Zとビヨンセが毎年開催している有名パーティーに招待されない理由を明かした。

ジェイ・Zが代表を務める企業ロック・ネイションがグラミー賞の週末に毎年開催している「ロック・ネイション・ブランチ」。参加するセレブやアーティストたちのファッションにも注目が集まるパーティーだが、スヌープ・ドッグは一度も招待をされたことがないようだ。ポッドキャスト「F3LLAS PODCAST」に出演したスヌープ・ドッグは以下のように説明している。

「俺も招待されたことがないんだ。その理由はわかっていて、俺が一番シャープでイケてる格好をするから、みんな来てほしくないんだろう。俺がパーティーに足を踏み入れた瞬間に、全てが覆るってみんなわかってるんだ。だから“あいつを招待するな”って思ってるんだろう。

でもいいんだ。ジェイはダチだし、あいつのことは好きだ。単にあのブランチに参加する時間がなかったんだ。次はみんなで一緒にいけるかもな。とりあえずリネンの服で行くんだ。リネン素材じゃないと駄目なんだと思う」

自分のファッションがシャープすぎるため、他の参加者からスポットライトを奪ってしまうと考えているスヌープ・ドッグ。来年のロック・ネイション・ブランチで彼の姿が目撃されるのか、注目したい。

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スヌープ・ドッグ

アーティスト情報

1972年LAはロング・ビーチ生まれ。ギャングの一員として荒涼とした幼少期を過ごしてきたスヌープ・ドッグ(当時スヌープ・ドギー・ドッグ)が、ラッ プに専念しようと91年にネイト・ドッグ、ウォーレン・Gと共にクリーク213を結成。西海岸の首領(ドン)=ドクター・ドレーに見出され92年「ディープ・カヴァー」でレコード・デビューを果たす。その後、ドクター・ドレーの歴史的ソロ・アルバム『クロニック』に大々的にフィーチャーされ、大きな注目を 集める。全編ドクター・ドレーの制作のもと、彼のインタースコープ傘下のレーベル=デス・ロウから満を持してリリースされたデビュー・アルバム『ドギー・ スタイル』(’93)は西海岸のギャングの生き様をリアルに描き、強烈な世界観を提示、驚異的な大ヒットを記録。瞬く間にアメリカを代表するラッパーとな る。その後、名前をスヌープ・ドギー・ドッグからスヌープ・ドッグに変更するもレーベル内の紛争に巻き込まれEMI傘下のノー・リミット・レーベルに移籍、多数のプロデューサー/ラッパーたちとの交流を深めながらコンスタントにアルバムをリリースし、常にシーンのトップ街道を突き進む。特にファレル・ ウィリアムスとのコラボレーション・アルバム『Paid tha Cost to Be da Bo$$』発表後の突き抜け具合は、目を見張るモノがある。再びインタースコープ傘下のゲフィン・レーベルに移籍後も、『R&G(リズム&ギャングス タ):ザ・マスターピース』と06年末の『ダ・ブルー・カーペット・トリートメント』と壮大なスケールのアルバムを立て続けに発表。唯一無二のヴォイスと フロウのラップ・スタイルはすでに孤高の粋にすら入っている。また音楽活動での後進の育成はもちろん、自身のバスケット・ボール・チームを通じた地域社会 の活性化、ハリウッド界への進出なども精力的に行い、その発言、行動には大きな注目が常に集まっている。

(引用)https://www.universal-music.co.jp/snoop-dogg/biography/

ジェイ・Z

アーティスト情報

本名ショーン・カーター、NYブルックリン出身。 幼い頃から生活保護を受け、11才のときには父親が家を出るという厳しい環境に育ち、十代から自然とラップに目覚めるが、ストリートでサヴァイヴしていく上で音楽からは離れた生活を余儀なくされる。26才のときに至近距離から撃たれたことを境にラップに再挑戦。当時はまだ無名に近かったクラーク・ケントの紹介でデイモン・ダッシュと出会い、共同でRock-A-Fellaレコードを設立、96年に1stアルバム『リーズナブル・ダウト』(全米23位)、97年2nd『イン・マイ・ライフタイム Vol.1』(全米3位)と着実にステップアップ。98年の3rd『イン・マイ・ライフタイム Vol.2(Vol.2 Hard Knock Life)』で初の全米1位を獲得すると、99年4th『Vol.3ライフ&タイムス・オブ・ショーン・カーター』(全米1位)、2000年5th『ザ・ダイナスティ・ロッカラ・ファミリア』(全米1位)と着実にリリースを重ね、2001年9月11日(奇しくもNY同時多発テロ事件当日)に6thアルバム『ザ・ブループリント』(全米1位)を発表する。2002年には初のアンプラグド盤=『ジェイ・Z・アンプラグド』をリリース。同年11月、直前に2枚組となった7th『ザ・ブループリント2-ザ・ギフト&ザ・カース』(全米1位)を発表し、名実共にラップ界の頂点に立つが、2003年突如ラッパーとしての引退を表明。“最後のアルバム”として発表した8th『ザ・ブラック・アルバム』は当然の如く全米1位となった。その後デフ・ジャム・レーベルのCEOの座に就いたジェイ・Zは、音楽界のエグゼクティブとして活躍する傍ら、R.ケリーとの共作『アンフィニッシュド・ビジネス』やリンキン・パークとのコラボ作『コリジョン・コース』等をリリースし大成功に導く。2006年にはアーティスト活動を再開することを発表し、11月に復帰作の9th『キングダム・カム』(全米1位)で華々しく復活を遂げる。2007年には映画『アメリカン・ギャングスター』に連動した同名を発表。2008年にはデフ・ジャムを離脱することを発表し、ライヴ・ネイションとのジョイント・ベンチャーとして自身の新会社=ロック・ネイションを設立し音楽界に衝撃を与えた。2009年には10th『ザ・ブループリント3』(全米1位)を心機一転Atlantic/Warner Music配給で9/11にリリース。アルバムからの「エンパイア・ステイト・オブ・マインド(feat. アリシア・キーズ)」は世界的に大ヒット、シングルでも全米1位に輝く。翌2010年にはサマーソニック2010のヘッドライナー出演のため、久しぶりの来日を果たす。実業家としてもナイトクラブ40/40の経営の他、ニュージャージー・ネッツの共同オーナーを努めたり、ハイレゾ音楽配信サービス=Tidalを買収するなど多忙を極める傍ら、2013年、12th『マグナ・カルタ・ホーリー・グレイル』、2017年には『4:44』をリリースするなどアーティスト活動も積極的に推進。私生活では2008年にかねてから交際していたビヨンセと結婚、世紀のビッグカップルとして話題に。アーティスト、実業家、そして世界で最も影響力のあるカップルの1人、など多くの顔を持つジェイ・Zは、ヒップホップ文化が生んだ最も大きな存在として絶大な影響力を誇っている。

(引用)https://www.universal-music.co.jp/jay-z/biography/

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