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ジャ・ルールとビーフしていた当時について語る

50セント、敵対するジャ・ルールと関わっているという理由で1億円以上の契約オファーを断る

2022.12.19 20:15

By Alex Const - originally posted to Flickr as 50 cent,CC BY 2.0

2022.12.19 20:15

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エミネムのレーベル〈Shady Records〉から2003年にデビューしたラッパー、50セント。1stアルバム『Get Rich Or Die Tryin’』は全米で900万枚を超える大ヒットとなり、アメリカで最も売れたヒップホップアルバムの10位にランクインしている。50セントはデビュー前からジャ・ルールと、彼が所属するレーベル〈Murder inc.〉と激しくビーフしており、多くのヒップホップファンからはジャ・ルールのキャリアを終わらせたラッパーと言われている。そんな50セントがジャ・ルールとビーフしていた当時について語った。

ジャーナリストBrian J. Robertsとのインタビューに出演した50セント。彼は以前〈ユニバーサル・ミュージック〉から130万ドルのオファーをされたが、ジャ・ルールと直接関わっている会社という理由で断ったと明かしている。

「ジャ・ルールや〈Murder inc.〉と直接関わりがある人とはビジネスをやらないようにしていた。ユニバーサルから、Gユニットとソロアルバムを制作するのに130万ドルのオファーをされたんだけど、断ったんだ。メンバーのトニー・イェイヨーにはその決断が理解ができなかったようで、“は?130万ドルでなんでやらないんだ?宝くじに当たって券を放棄するようなものだぞ”と言われたけど、“これはユニバーサルのシステムだから、正しい契約ではない”って言ったんだ。デフ・ジャムとジャ・ルールたちはもうこのシステムから金を稼いでるし、レーベルに影響を及ぼして私のやっていることの邪魔をする可能性があるからな」

ジャ・ルールが所属していた〈Murder inc.〉はユニバーサル・ミュージック傘下であったため、契約のオファーを断ったと明かした50セント。以前〈Murder inc.〉のアーヴ・ゴッティは、「エミネムとドクター・ドレーの懐に落ちるまで、業界から50セントをブロックしていた」と述べており、その発言に対して50セントは「このダサいやつらは自分のことを努力するのではなく、人を落とすことに時間を費やした。今のあいつらを見てみろよ。終わってるぜ」と、今は活躍していないジャ・ルールとアーヴ・ゴッティに対して辛辣なコメントしていた。

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50セント(50 Cent 読み:フィフティー・セント、本名:Curtis James Jackson III(カーティス・ジェームズ・ジャクソン3世)、1975年7月6日 - )は、アメリカ合衆国のヒップホップMC、俳優、企業家、エグゼクティブプロデューサー、プロボクシングプロモーターである。

ソロMCとしても活動するが、Gユニットの一員でもある。ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ区ジャマイカ地区出身。左利き。

50セントというMCネームは、1980年代にニューヨークのブルックリン界隈で30人あまりを殺害し、たった50セントでさえも奪ったとされる実在のギャング、ケルビン“50セント”マーティン(Kelvin "50 Cent" Martin)に由来する。

これまでに、グラミー賞を1回受賞している。

(引用)https://ja.wikipedia.org/wiki/50%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88

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