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オバマ前大統領が探しにきたと明かす

U2のボノがホワイトハウスでお酒を飲み、リンカーン大統領の部屋で眠ってしまったと語る

2022.11.04 18:50

By Daniel Hazard - http://u2start.com/photos/view/29157/, CC BY-SA 4.0

2022.11.04 18:50

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世界での1億7,000万枚以上のセールスを誇り、グラミー賞最多受賞のアーティストグループとしても知られているバンドU2。最近ではU2のボーカリストであるボノが、2014年に全iTunesユーザーのデバイスにU2のアルバムが勝手にダウンロードされた件について語っていたが、この度ボノがオバマ前大統領とお酒を飲んだときのエピソードを紹介している。

ボノはオバマ前大統領との交流があったようで、ホワイトハウスで彼と一緒にお酒を嗜む機会があったとBBC Radioに出演した際に明かしている。ボノは「彼は非常に特別な人で、彼の家族は最も特別な家族だ。第44代大統領は自分でカクテルをミックスする。あまり多くは飲まなく、慎重な人だ」と、オバマ前大統領がカクテルをつくってくれたと語っている。

ボノはワインなどに入っているサリチル酸塩にたいするアレルギーがあるようで、摂取すると「頭が風船のように腫れて眠ってしまう」とコメントしている。そんな彼はオバマ前大統領のカクテルを飲み、ホワイトハウス内で眠りについてしまったのだ。ボノが眠りにつき、10分ほどが経ったとき、オバマ前大統領はボノが不在なことに気が付き、ボノの妻Ali Hewson氏に相談をしたようだ。妻のAli氏は「彼は10分で戻ってくる。彼と30年一緒にいるけど、心配ない。私が探してくる」とオバマ前大統領に伝え、2人でボノを探しにいったと明かされている。

その後、ボノはなんと1861年から1865年まで大統領を務めたアブラハム・リンカーン大統領がオフィスとして使用していた、かの有名な「Lincoln’s Bedroom」で起きたようで、「私はリンカーンの寝室で、リンカーンの懐で眠っていたんだ。オバマ前大統領は私を起こして、大笑いしていたよ」と語った。ボノによると、オバマ前大統領はボノのアレルギーのことを信じていなく、自分がボノを酔い潰したと思っているようで、オバマ前大統領がつくるカクテルは「確かに強い」とコメントしている。

ボノは他にもソニック・ユースの照明卓や、車のボンネットで眠ったこともあるようだ。

ボノ/Bono (vo/g)、ジ・エッジ/The Edge (g/piano/vo)、アダム・クレイトン/Adam Clayton (b)、ラリー・マレン/Larry Mullen (ds/perc)

バンド結成時、「まともに楽器も弾けなかった」U2であったが、彼らの旺盛な意欲と野心は、活動開始当初から際立っていた。ボノ、ジ・エッジ、ラリー・マレン、アダム・クレイトンの4人は、マウント・テンプル・スクール時代に出会い、1978年にU2を結成。可能な限りのレコード・レーベルと接触した後、クリス・ブラックウェルのアイランド・レコードと契約を果たした。そしてスティーヴ・リリーホワイトをプロデューサーに迎え、最初の3枚のアルバムを制作。それが『ボーイ』(1980)、『アイリッシュ・オクトーバー』(1981)、そして『WAR(闘)』(1983)である。4作目『焔(ほのお)』(1984)では、ブライアン・イーノとダニエル・ラノワがプロデュースを担当。これらのアルバムと大規模なツアーを通じ、熱心なファン層を拡大していった彼らは、1985年7月に開催されたライヴ・エイドでのパフォーマンスにより、メインストリームで大ブレイクを果たした。1987年に5作目『ヨシュア・トゥリー』を発表すると、同作を引っ提げたツアーを実施。米タイム誌は彼らを表紙に起用し、見出しで「U2: 今、最も人気のあるロック・バンド」と宣言する。アリーナ公演は、間もなくスタジアム公演に取って代わられるようになり、『ヨシュア・トゥリー』は1988年のグラミー賞で<最優秀アルバム賞>を獲得。同年には6作目のスタジオ・アルバム『魂の叫び』がリリースされた。90年代が明けて間もない頃、バンドは7作目『アクトン・ベイビー』を発表し、画期的かつ未来的な<Zoo TV ツアー>へと乗り出した。2年間に及んだ<Zoo TV ツアー>で、彼らは地球を2周。その勢いのまま生み出されたのが、8作目『ZOOROPA』(1993)だ。同作は元々、シングルとして発表するつもりでツアー中に曲を録音したところから始まり、それがEP(ミニ・アルバム)に発展。最終的に、U2の8作目のアルバムとして完成した。 2000年、U2は10作目『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』と共に帰還。17年ぶりに小規模なクラブで一連のライヴを行い、「U2は“前職”への復帰願いを出しているところだ」とボノが宣言する——つまり、“世界で最大のロック・バンド”という職である。2001年、ヨーロッパと米国を(2度)回る<エレヴェイション・ツアー>を行った彼らは、“復職”に成功したとの評価を満場一致で受けた。 2004年、11作目『ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』のリリース後、U2はロックの殿堂入りを果たした。次の『ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン』を2009年にリリースした彼らは、同年6月、バルセロナを皮切りに<U2 360° ツアー>を開始。途中、グラストンベリー・フェスティバルへのヘッドライナー出演(2011年)を挟みつつ、ヨーロッパ、北米、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、ラテン・アメリカを回った<U2 360°>は、史上最高の興行収入を上げたツアーとなった。“世界最高のライヴ・アクトのひとつ”と誰もが認めるU2は、これまでに13作のスタジオ・アルバムをリリース、合計1億5,700万枚を超える売上を記録している。また彼らは数々の賞も受賞。グラミー賞を22回獲得しているのに加え、アカデミー賞にもノミネートされた他、アムネスティ・インターナショナルの<良心の大使賞>も授与された。 2003年には、映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』で使用された「ザ・ハンズ・ザット・ビルト・アメリカ」が、ゴールデングローブ賞の<主題歌賞>を受賞。 2014年には、映画『マンデラ 自由への長い道』にU2が提供した「オーディナリー・ラヴ」が、アカデミー賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞では<主題歌賞>を獲得している。 2014年10月にアイランド・レコードからリリースされた、U2にとって13作目となるスタジオ・アルバム『ソングス・オブ・イノセンス』は、世界中で50億人を超えるiTunesミュージック・ストアの顧客にアップルから期間限定で無料配信された。2015年の<イノセンス+エクスペリエンス・ツアー>は高い評価を受け、米ローリング・ストーン誌は、U2が「アリーナ公演を根本から作り変えた」と絶賛。革新的な同ツアーを記録したライヴ映像作品『U2 イノセンス+エクスペリエンス ライヴ・イン・パリ』(2016年)には、2015年12月、非常に特別な意味を持った2公演を行うため、彼らがフランスの首都パリを再度訪れた際の模様が収録されている。2017年に行われた<ヨシュア・トゥリー・ツアー 2017>は、バンドのキャリアに重要な影響を及ぼした同アルバムの発売30周年を記念したツアーであり、ヨーロッパ、北米、南米の40都市を巡って、10月にブラジルのサン・パウロ公演で千秋楽を迎えるまで、延べ270万人以上のファンを魅了。「世界最大のバンドが完全に本領を発揮したライヴ」(英ガーディアン誌:5つ星)と評され、同年、最も大きな成功を収めたツアーとなった。

『ソングス・オブ・エクスペリエンス』と題した、U2にとって14作目となる最新スタジオ・アルバムは、2017年12月1日にアイランド・レコードからされ、U2にとって8枚目の全米1位を獲得したアルバムとなった。ダブリン、ニューヨーク、ロサンゼルスで録音されたこの『ソングス・オブ・エクスペリエンス』は、2014年の『ソングス・オブ・イノセンス』と対になる姉妹盤であり、両作のタイトルは、18世紀末~19世紀初頭の英国で活躍した神秘主義者かつ詩人のウィリアム・ブレイクによる詩集『無垢と経験の歌(原題:The Songs of Innocence and of Experience)』からインスピレーションを受けている。プロデュースは、ジャックナイフ・リーとライアン・テダーの他、スティーヴ・リリーホワイト、アンディ・バーロウ、ジョリオン・トーマスが担当。アルバムのジャケットには、写真家アントン・コービンが撮影した、ボノとジ・エッジのティーンエイジになる息子と娘、イーライ・ヒューソンとサイアン・エヴァンスの写真が用いられている。2018年には<エクスペリエンス+イノセンス・ツアー>が欧米で行われた。

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